遺伝子で迫る「種の起源」/「進化論」のダーウィン生誕200年
2009年01月19日(月)更新
東京科学グループ・中村浩彦、鈴木彩子
地球上には数千万種の生物がいる。約40億年前の生命の誕生以来、長い進化を経て、さまざまな種に分かれてきた。今年は進化論を唱えた英科学者チャールズ・ダーウィンの生誕200年。研究者はいま、種の形成や分化など生命の進化の謎解きに、遺伝子レベルで挑んでいる。
◇環境で色覚変化
アフリカ大陸中央部。タンザニアやケニアなどの国境に広がるビクトリア湖は多くの固有種が生息し、「ダーウィンの箱庭」と呼ばれる。
その湖畔に、現地の人から「オカダ・ハウス」と呼ばれる小さな家がある。東京工業大大学院の岡田典弘教授(分子進化学)らはここを拠点に、種の形成や分化のメカニズムを解き明かそうとしている。
研究対象は「シクリッド」というカワスズメ科の熱帯魚だ。体長は数センチ~十数センチ。ビクトリア湖には体形や体色が多様に異なるシクリッドがたくさんすみ、その数は500種とも700種ともいわれる。
湖は約1万2千年前に干上がったことがあり、現在のシクリッドはその後に近隣の湖から流入した数種から、急速に分化したものだ。「進化学的に極めて短期間に分化したここのシクリッドは、分化の引き金となった遺伝的な変異を特定できる格好の材料だ」と岡田さんはいう。
たとえば「プンダミリア」と「ニエレリ」の2種。近縁種で、メスの体色はともに銀色だが、水深1~2メートルの岩場にすむプンダミリアのオスは体が青く、水深5~6メートルにすむニエレリのオスは赤い。
岡田さんらは両種で色覚に重要な遺伝子を分析した。すると、プンダミリアの目は青い光に、ニエレリの目は赤い光に強く反応することがわかった。
水が濁ったビクトリア湖では、浅いところは波長の短い青い光が届くが、深いところには波長の長い赤い光しか届かない。両種はそれぞれ生息場所の光の環境に適用するように色覚が変化し、さらにメスはオスの体色で交尾の相手を選ぶため、それぞれのオスが「メスに魅力的に見える色」に進化したと考えられた。
この成果は、英科学誌ネイチャーが選ぶ08年の注目論文の一つに選ばれた。岡田さんは「種の分化の仕組みの一端がやっと明らかになった。だが、シクリッドがこれほど多様に分化した理由は、光の環境の違いだけではないはずだ。原因になった遺伝子の特定を続けたい」と話す。
ダーウィンは1835年に南米エクアドル・ガラパゴス諸島を訪れ、十数種いる鳥類「フィンチ」のくちばしの大きさや形が種ごとに違うことから、進化論の着想を得たとされる。そのくちばしの違いに骨形成に関係する遺伝子がかかわっていることが、海外の研究でわかってきた。この遺伝子は魚の口の形成に関与している可能性もあるという。
東北大大学院の河田雅圭教授(進化生物学)は、カリブ海の島々に100種以上が生息する「アノールトカゲ」の脚の長さを決める要因を、遺伝子レベルで調べ始めた。
このトカゲは、枝先にすむものは胴が細く脚は太くて短い、木の幹にいるものはがっしりした体格で脚が長い、といった特徴がある。違う種でも同じような環境にいると、驚くほど似た姿形になってしまう。
「ダーウィンが示した進化の枠組みを、遺伝子で探る時代になった」と河田さんはいう。
◇大腸菌使い実験
実験室で、リアルタイムの進化を観察しようという取り組みもある。
大阪大情報科学研究科の四方(よ・も)哲也教授(実験進化学)は大腸菌などを使った実験で、いまの生物が生き残ってきた謎解きに挑んでいる。
四方さんは「現存する生物は2通りの進化戦略で生き残ってきた」と仮定する。一定の環境に最適になるように機能を高める進化と、変動する環境に柔軟に適応する進化だ。
環境変動に適応する進化を確かめようと、大腸菌に、生存に不可欠な2種類の栄養分をそれぞれつくる二つの一連の遺伝子を注入した。それぞれは1種類の栄養分しかつくれず、互いの活動を抑制し合う。
この大腸菌に片方の栄養分だけが欠乏する「未曽有の環境変化」を与えると、足りない栄養分だけを重点的につくるよう、自然に適応した。
遺伝子やアミノ酸などから人工細胞をつくったり、複数の生物を共生させて新たな生存形態が生まれる様子を調べたりする研究も進める。
「進化の不思議を化石資料から探るには数に限りもある。実験室の試験管の中で、昔もいまも未来も変わらない、普遍的な原理を導き出したい」と四方さんは話す。
◇ ◇
《筆者の1人、中村浩彦から》
「タンザニアにおいでよ。ビクトリア湖で釣りをしよう」と、タンザニア人の知人からずっと誘われています。大きな湖だとは聞いていましたが、「ダーウィンの箱庭」と呼ばれるほど固有種が豊かだとは、恥ずかしながら知りませんでした。小学生のころにダーウィンの著書「ビーグル号航海記」をワクワクしながら読んだ私にとって、「ダーウィンの箱庭」は魅力的な響きです。
東京工業大の岡田典弘教授らは2004年から毎年、「オカダ・ハウス」を拠点にシクリッドを調査しています。拠点といっても小さな一軒家で、結構ボロボロ。電気がきていないので、夜はガソリンランプが頼りで、裏庭には毒蛇が出現するそうです。日中は小舟を湖にこぎ出して、網でシクリッドを捕獲。そのシクリッドをデジタルカメラで撮影して、生きた状態の体色を記録します。
この湖でのシクリッド調査は、これまでにも外国の研究グループが進めてきました。しかし、標本はホルマリン漬けにされたり、スケッチでしか記録がなかったりして、生きた状態の体色を詳細に知ることは難しかったといいます。だから、岡田教授らの研究グループの記録は貴重な資料です。研究報告書には数百枚のシクリッドのカラー写真が掲載されており、多種多様な体色と形に目を奪われてしまいます。
その「ダーウィンの箱庭」もいま、危険な状況にあります。
半世紀ほど前に、肉食の大型外来魚ナイルパーチが放たれたのです。淡白な白身を海外に輸出するためだったそうですが、ナイルパーチは固有種の魚をえさにして、急激に増えていきました。日本の湖に放たれたブラックバスが日本の固有種を絶滅の危機に追いやったのと同じ構図で、絶滅したシクリッドの仲間もいるそうです。
ナイルパーチは加工され、欧州や日本などに輸出されています。それにより地域経済は潤います。「ダーウィンの箱庭」が経済のグローバリゼーションの波に呑み込まれようとしているのです。
こうした経緯を描いたドキュメンタリー映画「ダーウィンの悪夢」は、2006年の第78回アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされました。地域経済とのバランスを保ちつつ、生命進化の謎を解くカギを握る「ダーウィンの箱庭」をどう守るか。難しい問題です。