9月1日は「防災の日」、そして9月は「防災月間」だ。今から93年前(1923年9月1日)に発生した関東大震災を忘れないために設けられた。その時代を代表する物理学者・防災学者の寺田寅彦が残した警句から防災・減災の重要性を読み解く。
天災は忘れた頃にやってくる
夏目漱石の小説のモデルに
寺田寅彦(てらだとらひこ、1878〜1935年)という物理学者をご存知だろうか。第五高等学校(現・熊本大学)で夏目漱石(なつめそうせき)に英語を習い、漱石が主宰する俳句結社に参加したことから、生涯親交を結び、「漱石の一番弟子」と呼ばれることもある。
漱石の小説『吾輩は猫である』に登場する水島寒月(かんげつ)は、寺田がモデルとされる。シイタケを食べて前歯を折り、「首縊(くく)りの力学」という演題でスピーチする風変わりな物理学者だった。
同じく『三四郎』にも、寺田は野々宮宗八の名前で登場している。こちらは大学の穴倉のような研究室で光線の圧力を観測し、日本より外国で知られた物理学者という役回りである。
防災学者でもあった
寺田は物理学者として数々の業績をあげたが、防災学者として地震・台風・火山などの被災地を調査し、そこから得た教訓を一般向けの随筆に著した。
寺田の言葉で一番知られているのが「天災は忘れた頃にやってくる」という警句だ。起きてしまった災害を忘れることなく日々の備えをしようという意味だが、これは書かれたものではなく、講演の中での発言とされる。寺田が残した随筆から、今に通じる警句を読み解いていこう