【日 時】平成26年10月15日(水)13:00~14:00
【会 場】関西大学千里山キャンパス尚文館 マルチメディアAV大教室
【講 師】大槌町教育委員会 学務課長兼学校給食センター長
松橋 文明氏
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岩手県大槌町 東日本大震災
大槌町
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おおつちちょう 大槌町 | |||
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大槌町役場
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国 | 日本 | ||
地方 | 東北地方 | ||
都道府県 | 岩手県 | ||
郡 | 上閉伊郡 | ||
団体コード | 03461-4 | ||
面積 | 200.59 km² | ||
総人口 | 11,696人 (推計人口、2014年9月1日) |
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人口密度 | 58.3人/km² | ||
隣接自治体 | 宮古市、遠野市、釜石市、 下閉伊郡山田町 |
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町の木 | けやき | ||
町の花 | 新山つつじ | ||
町の鳥 町の魚 |
かもめ さけ |
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大槌町役場 | |||
所在地 | 〒028-1192 岩手県上閉伊郡大槌町上町1番3号 北緯39度21分29.7秒東経141度53分58秒 |
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外部リンク | 大槌町 | ||
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大槌町(おおつちちょう)は、日本の岩手県上閉伊郡に所在する町。
縄文時代の遺跡が多く見られる、太平洋に面している町であり、現代では、振興山村、辺地、過疎地域の指定を受けている。1973年(昭和48年)4月には、東京大学海洋研究所国際沿岸海洋研究センターが開所している[1]。
目次
[非表示]地理[編集]
自然[編集]
北上山地に発してほぼ並行して南東方向へ流れ、太平洋に開けた大槌湾へと注ぐ2つの川である大槌川と小鎚川が形成する、沖積平野部が地域の中心をなす。大槌湾の北には船越湾もある。 人口は大槌湾に面した海沿いに集まり、鉄道や主要道路も海岸に沿って走っている。北上山地の一端をなす西部は人口が少ない。
主要な地形[編集]
- 山地
- 河川系
- 大槌川(おおつちかわ)、小鎚川(こづちかわ)
- 近海・沿岸地形
広域地域区分[編集]
- cf. 岩手県の地方区分図(参考):≪外部リンク≫ “岩手・青森・秋田エリア地図”. Be-Jobナビ. 総合広告社. 2011年6月21日閲覧。
隣接する自治体[編集]
- cf. 岩手県の市町村全図 :≪外部リンク≫ “県内各市町村”. (公式ウェブサイト). 岩手県. 2011年4月18日閲覧。
町内の地域[編集]
- cf. “大槌町(上閉伊郡)(岩手県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. 2011年4月25日閲覧。
歴史[編集]
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盛岡藩の港町[編集]
戦国時代、当地は周辺地域の有力武将であった大槌氏の支配下であった。大槌氏は九戸政実の乱や岩崎合戦で南部方の武将として活躍した。大槌氏は特産の南部鮭の交易で財を成したが、中央集権化を進める南部利直によって謀反の嫌疑をかけられ、処罰された。
大槌氏亡き後、この地は大槌城代が置かれて盛岡藩の管理下となり、その後は大槌代官所(南閉伊代官所)が置かれ、現在の山田町と釜石市の一部を含めた地域の行政を管轄した。
東日本大震災[編集]
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、大槌町も強い揺れに襲われた(同町では新町に地震計が設置されていたが、震度の観測記録は無し。隣接する市町村は、釜石市が6弱、宮古市と遠野市で5強、山田町は5弱であった)[6]。 加えて、この地震が引き起こした大津波とそれによって発生した火災により、町は壊滅的被害を受けた[7][注 1][注 2]。
- 震災時、町長・加藤宏暉を始めとする町職員幹部ら約60人は災害対策本部を立ち上げるべく町庁舎2階の総務課に参集したが、止まない余震にいったん駐車場へ移動し、さらに津波接近の報を受けて屋上に避難しようとしたものの、約20人が屋上に上がったところで津波が到達。町長と数十人の職員は間に合わず、庁舎の1、2階を襲った津波に呑み込まれて、そのまま消息が途絶える[8][9]。町長以外にも課長クラスの職員が全員行方不明となったため、行政機能が麻痺した[10][11]。県都である盛岡市から車で数時間かかる地勢も災いして、被害の全容が外部に伝わりにくく、周囲から孤立したような状況がしばらく続いた。
- JR山田線の大槌駅は駅舎などが津波で流失し、線路にも大きな被害が出た[12]。
- 東京大学海洋研究所付属の国際沿岸海洋研究センターは、人的被害こそ無かったものの、建物は3階まで津波に洗われ、特に壊滅的状態となった1、2階では紙媒体と電子媒体による保存データの全てが失われた。また、港に係留してあった研究船は沈没した[13][8]。
- 三陸海岸初の双胴型高速旅客船である釜石市所属の観光船「はまゆり」(109t、200人乗り)は、定期検査のために赤浜地区の岩手造船所で陸に揚げられた3時間後、津波にさらわれた。第2波が来たときには防波堤を越えて内陸へ押し流され、150mほど北にある2階建ての民宿の屋根に引っかかってその上に乗る形でほぼ無傷のまま止まった[14][15][16]。
- 3月19日:行方不明となっていた加藤町長が遺体で発見される[7]。津波被害のため選挙が実施できず、以後5ヶ月余りにわたって町長が空席となる。
- 4月9日:この時点で判明した人的被害は死者583人・行方不明者1,068人・避難者9,070人[7]、建物被害は詳細不明。
- 4月24日:津波で民宿の屋上に漂着した釜石市の観光船「はまゆり」は、防災教育を主目的とした震災のモニュメントとして保存する案が地震研究者らの提言で浮上していたが、この日、釜石市は「町の復旧に支障が出る」として解体を決めた[15][16]。
- 4月25日:町立大槌小学校の運動場にて、大槌町役場の仮庁舎が開庁[17][18]。
- 5月10日:釜石市の観光船「はまゆり」が2台のクレーンによって民宿の屋根から地表に下ろされる(その後、現地にて約1ヶ月かけて解体された)[19]。
- 5月26日:この時点で判明した人的被害は死者768人・行方不明者952人・重軽傷者不明、建物被害は依然として詳細不明[20]。
- 6月6日:この時点で判明した人的被害は死者777人・行方不明者952人[21]。
- 6月20日:副町長・東梅政昭の任期が満了し、翌21日に総務課長の平野公三が町長職務代行を引き継ぐ[22]。町長選挙は8月28日に実施と決まり、首長不在の異常事態はなおも続くこととなった[22][23]。
- 8月28日:町長選挙が実施され、元町総務課長の碇川豊が当選する。
- 現在、町内の防災行政無線のお昼のチャイムは、同町にある蓬莱島がモデルの1つと言われる「ひょっこりひょうたん島」のテーマソングが使われている。
- 避難所生活をおくる人たちのために民謡を歌って慰問活動をしていた地元の女子中学生がテレビの報道番組に映り、それがきっかけとなって、2012年7月に臼澤みさきとして歌手デビューした[24]。
年表[編集]
近世以前[編集]
- 建武・正平年間(14世紀):遠野横田城主・阿曽沼朝綱(cf. 阿曽沼氏)の次男である大槌次郎が、東部海岸地方を分知され、居城として大槌城を築いたと伝えられる。
- 天正18年(1590年)夏:豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏の小田原城が落城したことにより、主家を無くした伊豆清水氏が船で気仙浦に逃れる[2][25]。
- 安土桃山時代末期:大槌城主・大槌孫八郎政貞が、特産の鮭を新巻(塩鮭)に加工する方法を開発し、「南部鼻曲がり鮭」の名で江戸と通商して大いに富を得る。
- 元和3年(1617年):大槌孫八郎政貞が南部利直から謀反の嫌疑をかけられて切腹し、大槌氏は家名断絶する。
近代以降[編集]
- 1938年(昭和13年)4月5日:国鉄(JRの前身)山田線の大槌駅と吉里吉里駅が開業。
- 1955年(昭和30年)4月1日:旧・大槌町と金沢村が合併し、現町制下の大槌町が誕生。
- 1961年(昭和36年)12月20日:山田線の浪板駅(現・浪板海岸駅)が開業。
- 1971年(昭和46年)4月1日:旧・大槌漁協、および、赤浜漁協、吉里吉里漁協が合併し、新生の大槌町漁業協同組合として開所する。
- 1973年(昭和48年)4月:東京大学海洋研究所が赤浜地区に大槌臨海研究センターを開設[5]。
- 1973年(昭和48年):井上ひさしが長編小説『吉里吉里人』の執筆を始める。
- 1982年(昭和57年):地域おこしの一環として、吉里吉里駅を擁する大槌町がミニ独立国「吉里吉里国」として“独立宣言”し、1980年代における「ミニ独立国ブーム」のきっかけとなった。
- 1994年(平成6年)12月3日:浪板駅が浪板海岸駅に改称。
- 2003年(平成15年)4月:東京大学海洋研究所付属の「大槌臨海研究センター」が「国際沿岸海洋研究センター」に改称・改組[5]。
- 2005年(平成17年)10月15日:フォートブラッグ市(en。アメリカ合衆国カリフォルニア州)と姉妹都市盟約を締結。
- 2011年(平成23年)3月11日:東日本大震災が発生し、大槌町も被害甚大(※節を改めて詳述する)。
行政区域の変遷(市町村制施行以後)[編集]
- 1889年(明治22年)4月1日:南閉伊郡で大槌村(おおつちむら)・小鎚村(こづちむら)・吉里吉里村(きりきりむら)が合併した上で町制を施行し、大槌町が成立する。同じく、金沢村(かねざわむら)が単独で村制を施行し、同郡に金沢村が成立する。cf. #町内の地域。
- 1896年(明治29年)3月29日:南閉伊郡と西閉伊郡が合併し、上閉伊郡となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日:大槌町と金沢村が合併し、新生の大槌町が誕生[26]。
行政[編集]
歴代町長[編集]
歴代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
山崎三雄 | 1999年(平成11年)5月 | 2期。 | ||
加藤宏暉 | 2007年(平成19年)5月8日 | 1期目在任中に死亡。左記の退任日は死亡が確認された日付。[1] | ||
東梅政昭 (とうばい まさあき) |
副町長として町長職務を代行。 | |||
平野公三 | 町職員(課長)。法の規定により町長職務を代行。[2] | |||
碇川豊 | 2011年(平成23年)8月29日 | 1期目。 |
- 2011年3月11日に起こった東日本大震災で津波に呑まれて行方不明となっていたが、同月19日に町庁舎から約500m離れた国道沿いで遺体が発見され、翌20日に当人と確認された[9]。町長の行方不明後、町長職務代行者には副町長の東梅政昭が就き、町長の死亡確認後も代行を継続した。
- 副町長職が任期満了となる6月20日の翌日、地方自治法第152条第3項に従って総務課長の平野公三が後任の職務代行者に就いた。なお、その後町長となった碇川豊が前任の総務課長であったが、震災以前に町長選出馬準備を理由に辞職しており、震災の時点で総務課長は空席となっていた。また、他の課長クラスの職員も全員が加藤とともに死亡もしくは行方不明となったため、震災当時主幹であった平野が総務課長に昇格していた[27][22]。
エリア放送[編集]
地上一般放送局の免許を受け、49chによりワンセグエリア放送を実施している。[28]
姉妹都市・友好都市[編集]
警察[編集]
- 釜石警察署 大槌交番 :所在地 本町6-14。 [29](2011年4月25日より、上閉伊郡大槌町上町1番3号に所在)[30] [31]
- 釜石警察署 吉里吉里警察官駐在所 :所在地 吉里吉里1-6-1。(流失 連絡先 大槌交番)[30]
- 釜石警察署 金沢警察官駐在所 :所在地 金沢第27地割56番地2。[30]
郵便[編集]
- 大槌郵便局(集配局) :所在地 本町6-7 [29]。(2011年10月24日より、大槌第15地割字迫田48番地3に所在)
- 吉里吉里郵便局 :所在地 吉里吉里1-4-15。
- 安渡郵便局 :所在地 安渡2-5-8。
郵便物等の集配業務は、本来は大槌郵便局の担当だが、東日本大震災で被災したことに伴い同局の集配業務が停止したため、釜石郵便局が代行して担当。
医療[編集]
経済[編集]
産業[編集]
水産業[編集]
- 吉里吉里漁港 :船越湾にある吉里吉里港内。
- 大槌漁港 :大槌湾にある大槌港内。
- 大槌町漁業協同組合 :cf. 1971. [注 3]
- 本部(安渡地区)、吉里吉里支所(吉里吉里地区)、大槌支所(須賀町地区)、安渡支所(須賀町地区)、赤浜支所(赤浜地区) [29]
- 大槌町漁業協同組合魚市場 :所在地 安渡3-11-6。
地域[編集]
県全体の平均所得が236万円なのに対し、大槌町では170万円と、格差が激しい。 一方、国民健康保険料は、全国11番目に高額である。
人口[編集]
大槌町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 大槌町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 大槌町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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大槌町(に該当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
健康[編集]
- 平均年齢
教育[編集]
高等学校[編集]
中学校[編集]
- 大槌町立大槌中学校
- 大槌町立吉里吉里中学校
小学校[編集]
- 大槌町立大槌小学校
- 大槌町立吉里吉里小学校
金融機関[編集]
交通[編集]
鉄道路線[編集]
路線バス[編集]
道路[編集]
一般国道[編集]
県道[編集]
主要地方道[編集]
一般県道[編集]
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
- 大槌湾内にある島で、ひょっこりひょうたん島のモデルとなった島[4]。
出身著名人[編集]
- 二代目・前川善兵衛(通り名:吉里吉里善兵衛):商人(廻船問屋)。1637年生まれ。陸奥国は盛岡藩領の吉里吉里村(現・岩手県大槌町吉里吉里)出身。一族は相模国(現・神奈川県)の出(後北条氏配下)。[2][25]
- 大槌孫八郎:武士(大槌城主)。廻船業主。
- 松橋暉男:東郷神社名誉宮司。小槌神社禰宜。
- こしたてつひろ:漫画家。吉里吉里地区出身。
- 佐佐木勝彦:漫画家。吉里吉里地区出身。
- 佐藤ひろ美:シンガーソングライター
- 中村龍徳:イラストレーター。桜木町地区出身。
- 姫神ゆり:グラビアアイドル。
- 山口ともみ(旧芸名:山崎友見):演歌歌手。吉里吉里地区出身。
- 平野仁:格闘家。浪板地区出身。
- みち乃く兄弟:演歌歌手。吉里吉里地区出身。
- 臼澤みさき:歌手
その他の関連事象[編集]
関連書籍[編集]
- 野口法蔵『お地蔵さまと心の癒し 大槌町復興地蔵物語』(七つ森書館)
脚注[編集]
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- ^ “岩手県大槌町の空撮 3月15日”. asahi.com(動画) (朝日新聞社). (2011年3月15日) 2011年6月5日閲覧。:YouTubeを用いたasahi.comのニュース動画。内容抜粋:空撮、津波、山火事、消火活動、岩手県大槌町、はまゆり (遊覧船)。
- ^ “死者621人・行方不明645人に 街の水没相次ぐ 3本目”. asahi.com(動画) (朝日新聞社). (2011年3月15日) 2011年6月5日閲覧。:上に同じ。内容抜粋:空撮、津波、岩手県沿岸(山田町〜大槌町〜釜石市)、はまゆり (遊覧船)。
- ^ “大槌町漁業協同組合”. (公式ウェブサイト). 大槌町漁業協同組合 (2006年). 2011年6月21日閲覧。
出典[編集]
- ^ 大槌臨海研究センターから国際沿岸海洋研究センターへの改組 | 大気海洋研究所50年史. 2014年2月11日閲覧
- ^ a b c d e “みどころマップ 高原編”. (公式ウェブサイト). 大槌商工会. 2011年4月25日閲覧。
- ^ a b c 岩手県立図書館 (2011年4月28日). “質問 岩手県上閉伊郡大槌町にある鯨山(大鯨山、小鯨山)の山名由来を確認したい。”. レファレンス協同データベース(公式ウェブサイト). 国立国会図書館. 2011年6月1日閲覧。
- ^ a b c d e “大槌みどころマップ 海編”. きらめく海の町 大槌(公式ウェブサイト). 大槌商工会. 2011年4月25日閲覧。
- ^ a b c “東京大学海洋研究所 国際沿岸海洋研究センター”. (公式ウェブサイト). 東京大学海洋研究所 国際沿岸海洋研究センター. 2011年4月25日閲覧。
- ^ “震度データベース検索”. (公式ウェブサイト). 気象庁 (2011年3月11日). 2011年4月16日閲覧。
- ^ a b c “東日本大震災 図説集”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年4月10日) 2011年4月17日閲覧。:被災状況全図。
- ^ a b “不明の大槌町町長、職員ら「津波のときは地震の対策会議中」”. MSN産経ニュース(ウェブサイト) (産業経済新聞社). (2011年3月13日) 2011年4月17日閲覧。
- ^ a b “大槌町長の遺体発見…災害対策指揮中に津波”. Yomiuri Online (読売新聞社). (2011年3月21日) 2011年4月25日閲覧。
- ^ “大槌町長が不明 職員50〜60人連絡付かず”. 岩手日報 (岩手日報社). (2011年3月14日) 2011年4月26日閲覧。
- ^ “壊滅被害の岩手・大槌町 役場復旧追いつかず”. TOKYO Web (東京新聞社). (2011年3月31日) 2011年5月7日閲覧。
- ^ “【東日本大震災】JR東日本、太平洋沿岸の23駅流失”. 産業経済新聞社 (2011年4月1日). 2011年4月1日閲覧。
- ^ “被災しました”. (ウェブサイト). 東京大学海洋研究所国際沿岸海洋研究センター 佐藤克文研究室. 2011年4月25日閲覧。
- ^ “屋根の上の遊覧船「はまゆり」の運命【岩手・大槌発】”. J-CAST ビジネス&メディア ウォッチ(ウェブサイト) (ジェイ・キャスト). (2011年4月15日) 2011年4月20日閲覧。
- ^ a b “乗り上げた観光船、震災モニュメント案浮上”. asahi.com (朝日新聞社). (2011年4月23日) 2011年4月25日閲覧。
- ^ a b “定期観光船、解体へ 津波で民宿に乗り上げ 釜石市、あすにも撤去”. 全国新聞ニュース網. (2011年4月24日) 2011年4月25日閲覧。
- ^ “大槌町 仮庁舎へ引っ越し作業”. NHKニュース(ウェブサイト). NHK (2011年4月23日). 2011年4月23日閲覧。動画あり。
- ^ “東日本大震災:「復興の拠点に」 岩手・大槌町の仮庁舎が開庁”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年4月25日) 2011年4月25日閲覧。
- ^ “屋根上に2カ月、観光船「はまゆり」地上に 岩手・大槌”. asahi.com (朝日新聞社). (2011年5月11日) 2011年6月21日閲覧。
- ^ “東日本大震災被害情報地図”. ALL311:東日本大震災協働情報プラットフォーム(公式ウェブサイト). 防災科学技術研究所 (2011年5月26日). 2011年6月9日閲覧。:※資料に住家と公共施設の区別無し。
- ^ “東北地方・茨城県被害全図 (PDF)”. (公式ウェブサイト). 民主党 (2011年6月6日). 2011年6月9日閲覧。:原典は国土地理院提供資料。
- ^ a b c “岩手・大槌町長選8月28日に実施 首長不在、さらに2カ月”. 日経電子版 (日本経済新聞社). (2011年6月21日) 2011年6月21日閲覧。
- ^ “大槌町長選8月28日に実施”. NHKオンライン (NHK). (2011年6月21日) 2011年6月21日閲覧。
- ^ http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/usuzawa-misaki/profile/
- ^ a b c d “吉里吉里善兵衛(前川善兵衛)歴代の墓”. いわての旅(公式ウェブサイト). 岩手県観光協会. 2011年4月25日閲覧。
- ^ 同年3月30日、総理府告示第811号「町村の廃置分合」
- ^ “副町長、6月20日で任期切れ 町長死亡の大槌町”. 岩手日報 (岩手日報社). (2011年5月14日) 2011年5月17日閲覧。
- ^ 免許状況の詳細 放送(東北総合通信局)
- ^ a b c d “(タイトル無し)”. (公式ウェブサイト). 大槌町. 2011年6月21日閲覧。
- ^ a b c “釜石警察署管内交番駐在所一覧表”. 2013年5月3日閲覧。
- ^ “プレハブ業務再開”. 2013年5月3日閲覧。
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