もくじ
前回 神々の系図 8頁
今回 天皇の系図 10頁
次回 記紀の舞台 九州をめぐる
西東社 10頁
右端 神倭伊波礼昆古命(カムヤマトイワシビコノミコト/神武天皇・・じんむてんのう)P124へ
第1話 神武の東征(古事記中巻)
P 124 あらすじ
神倭伊波礼昆古命は、天下を治めるために東を目指し、日向を出発した。船で豊予海峡を北上して北九州に向かい、瀬戸内海を経て大阪に達する。・・・・・・・・・・・・・・・・・
-神武天皇は45歳のとき、兄・五瀬命(いつせのみこと)らとともに国家統一を決意し、日向の美々津(みみつ)から兵をまとめて筑紫(福岡)に向かう。
出港後は、豊国(大分)、筑紫から瀬戸内海を経て、浪速(大阪)に入り、紀州に回って大和に入った。
大和を平定した後に橿原宮(かしはら宮)(奈良)で即位し、初代天皇となった。-
P122
日向から くま野へ(熊野 /文字がけっらくする パソコン)
天下わ治めるために東へ
●日本海軍発祥の地
美々津(みみつ)
美々津(みみつ) 宮崎県宮崎県日向市美々津 MapionMap GPS N=32/20/04 E=131/36/53 辺り紀元前、神武神武天皇が宮崎の皇宮屋(こぐや)で東征の軍議を決定されて大和へ向け出発、船出の港に選ばれたのがここ美々津であったと伝えられている。 |
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美々津の港や町並み |
当サイト内関連ページ:
国指定 日南市飫肥重要伝統的建造物群保存地区 飫肥(おび) (九州の小京都、飫肥藩の名残が街の随所に) |
「日本海軍発祥の地」碑神武天皇は日向の国(宮崎)より東征へ向かわれた、その時船出をしたのがここ美々津です。 それを記念して昭和17年に作られた碑です。 碑の設計は 平和台公園の平和の塔同様、当時の日本彫刻界の第一人者「日名子実三」(1893~1945年:大分出身)です。 神武天皇は45歳のとき、兄・五瀬命(いつせのみこと)らとともに国家統一を決意し、日向の美々津(みみつ)から兵をまとめて筑紫(福岡)に向かう。 出港後は、豊国(大分)、筑紫から瀬戸内海を経て、浪速(大阪)に入り、紀州に回って大和に入った。 大和を平定した後に橿原宮(かしはら宮)(奈良)で即位し、初代天皇となった。 記紀(古事記・日本書紀)に見る 神武天皇東征の出発地古事記では・・「何れの処にいまさば、平らけく天の下の政を聞こしめさむ。なお東に行かむと思ふとのりたまひて、即ち日向より発ちて筑紫に」 日本書紀では・・ 「冬十月丁巳の朔……日向より諸皇子・舟軍(ふないくさ)を率いて東征」 「記紀」では日向のどこから出航されたかは、明確に記されてはいない。 |
立磐神社 (たていわ神社)耳川の河口に面したこの立磐神社の御祭神は、住古三神で、航海安全・漁業繁栄の神様。 神武天皇が東征の船出を待つあいだ腰かけていたという「腰かけ岩」が祀られている。 |
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宮崎県日向市美々津(みみつ)● 2005/07-2006/01● PRJTBサイトで宮崎県のホテルの空室確認/予約 レンタカー予約 ニッポンレンタカー ご利用の1時間前までネット予約ができる! ネットで予約出来る 宮崎のビジネスホテル 観光ホテル 旅館 レンタカーリンク集 |
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