さらりと、箕面郷土資料館-三島海雲とカルピス展-後のことを書きたい
文才のなさに ため息をともないながら
今もそうかも、会社人間から速くも十数年、地域、住むとこに意識が・・・
千里の竹 瞬時に「千里丘陵」をのイメージに移る なぜか
自然災害が多い夏 ①6月半ば 大阪北部地震 ブロック ②7月上旬 西日本豪雨 真備/岡山 ③台風21号 関空 ④北海道 地震 電力 ⑤猛暑 ⑥集中豪雨
もうコオロギの声
そうだ 島熊山知らずして 竹も日本初のニュータウン創設のことは・・・・。
来た道を引き返し 中国道の手前の信号左 と 聴く 勘違い2回 1回は 通行している人に聴き はやとちり 2回目は中国同道の左端を東に 大阪モノレール駅「小路」を左に、あわや行きすぎずに
なんとか感とか
目指すは 島熊山
バス停見つけて ホット もう近い
竹藪のまわりをいきはったら と 高校生
真すぐ行ったら 小学生5・6年生に そこの道を真すぐ 散歩の70才前後の男性 そこのお寺の近く /昔 昔その昔 大先輩がガンを勧告、その又だいだい先輩が「この地に」お住まい そのことを相談に 昼の日中 住所と番地は解っていたが「お巡りさん」訪ねました お巡りさんも新天地 訪ねてもだめでした/なんだか このちは藪の中、
あとで、解ったが新天地であること(緑丘自治会創立50周年記念)
出た 豊中不動尊
豊中不動尊(とよなかふどうそん)は、大阪府豊中市にある不動尊。正式名称は宗教法人豊中不動寺という。山号は紫苑山。宗派は真言宗(単立)。本尊は不動明王。近隣住民からは「豊中のお不動さん」と呼ばれている。祈祷を中心とする祈祷寺でもある。
- 昭和37年(1963年)12月8日に創建される。豊中市街地にあった守護尊協会移転の際、島熊山の地主が守護尊協会を吸収し、新しい豊中不動尊として創立した。本尊は島熊山のすぐそばにある。
- 万葉集に詠まれる島熊山の歌、「玉かつま 鳥熊山の夕暮れに ひとり君か 山路越ゆらむ」の歌碑が、境内に建てられている。
「チラシ」が1枚もなく と 早速に いただき なぜここに来たかを話しました。
すると 「緑丘自治会 創立50周年記念」いやはや 願ったり叶ったり これぞ「誓願成就」。
住職 谷 真光様 ありがとうございました。
この裏が「鳥熊山」です
以前にこの方のブログを見ていました。
訪問 動機の大きい要因 わかり易く こなブログを書きたいな
豊中市の最高峰といわれる島熊山を歩く
豊中市の最高峰といわれている島熊山を歩いてきました。(2014.06.28)
所在は、千里中央を北側に囲う千里山丘陵の一角にあります。島熊山には4等三角点があり標高は115.7mですが、もっと高い緑丘3丁目の124.0m、新千里北町2丁目の133.8m(点名「芝」)があります。
(登山ルートは下の「・・・」をクリックしてください)
Map 「senrikyuuryouA.jpg」
千里中央から豊中行きの阪急バスに乗り、豊中不動尊前で下車します。
島熊山はこのすぐ裏手、東側にあります。
千里中央側に少し戻ると、市立千里少年文化館の標識があり、ここが入り口です。
緩やかに登ってゆくと広場に出ました。駐車場のようです。
階段の向こうの森の中に4等三角点があります。
4等三角点、点名「島熊山」です。
新千里北町2丁目に豊中市最高点の3等三角点133.8m、点名「芝」があります。
昔はP115.7、P120.0m、P133.8m一帯を島熊山と呼んだという記録もあるそうです。
フェンスの内側にあった、観察コース図です。
蚊にに刺されそうな予感が的中して、14箇所刺されました。
全体がヤブで、この時期散策には適していません。
入ってすぐはこのような感じで良いですが、もう少し入った池の周りはヤブです。
ここにもナラ枯れ病の被害が拡大していました。
古池です。
「島熊山の雑木林を守る会」などの自然保護団体の方々が清掃をされているそうです。
豊中鳥熊山ブログ
少年文化館は、文化活動、創造活動等をとおして子ども文化の向上と健全な育成を図ることをねらいとしています。
未来に生きる子どもたちが、健やかで心豊かに育つようにとの願いをこめてつくられた施設です
業務終了 是非 是非 おやまの自然を満喫ください
- 先に「「島熊山」 そして 千里丘陵 /いつもの
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島熊山
島熊山 | |
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島熊山遠景
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標高 | 115.7 m |
所在地 | 日本 大阪府豊中市緑丘2丁目 |
位置 | 北緯34度48分30.5秒 東経135度29分06.4秒座標: 北緯34度48分30.5秒 東経135度29分06.4秒 |
山系 | 千里丘陵 |
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プロジェクト 山 | |
テンプレートを表示 |
島熊山(しまくまやま)は、大阪府豊中市緑丘2丁目にある千里丘陵の山である。千里丘陵で一番高い地点とされる場所にあり、四等三角点がある。現在は住宅化が進み、昔の姿は見られない。
概要[編集]
- 8世紀に西国街道が整備され、島熊山の近くを通るようになると一帯は交通要所となり、公卿や寺社領の荘園が増えていったという。万葉集の12巻、3193番に登場する由緒ある山であり、山頂付近にある豊中不動尊境内に、歌碑が立てられている[1]。また、江戸時代の地誌「摂津名所図会」にも記述がある。
- 太平洋戦争後しばらくは自然が豊かな一帯だったが、大阪府有地以外は住宅地として開発され、かつての姿をほとんど留めていない。
- 大阪府は1996年に島熊山の一角に「北部防災拠点」の建設を計画し、開発着手しようとしたが、「豊中の森島熊山を千里緑地として残す会」の尽力により、37,479人の反対署名を集めた結果、豊中市に譲渡され里山として保全されることが決まった。
- 付近一帯に須恵器片や窯壁破片を含んだ灰原が分布し、頂上近辺に島熊山窯跡があったとされ、丘陵の斜面、東側か北側にあったものと推定される。現在は緑地帯の一部として保存されている[2]。
玉かつま 島熊山の 夕暮れに ひとりか君が 山道越ゆらむ[3]— 万葉集 12巻 3193番
交通アクセス[編集]
- 大阪高速鉄道大阪モノレール線 少路駅から徒歩約10分
- 北大阪急行電鉄 千里中央駅から徒歩約15分
- 千里中央駅から阪急バス乗車、島熊山バス停下車すぐ。
- 大阪府道2号大阪中央環状線 島熊山北・島熊山南交差点北へすぐ。
脚注[編集]
外部リンク[編集]
ウィキメディア・コモンズには、島熊山に関連するカテゴリがあります。 |
- 島熊山の雑木林を守る会
- 島熊山基金は終了しました
- 島熊山(万葉集12巻、3193番の和歌)
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千里丘陵
千里丘陵(せんりきゅうりょう)は、大阪府の北摂地域にある丘陵。豊中市・吹田市・茨木市・箕面市にまたがる丘陵地で、千里ニュータウンや万博記念公園も含まれる。かつて毎日放送千里丘放送センターがあったことで有名。
環境[編集]
千里丘陵は、大阪平野から見て高台にあたり、石器時代からの多数の遺跡がある。古代は大阪平野の大半が大阪湾や河内湖だったため千里丘陵のすぐ下は海や湖の岸辺にあたり、小さな港がたくさん作られ交易で栄えていた。(高浜、豊津など。)
千里丘陵は府内でも数少ない、竹林の多い地区でもあった。千里の竹林は大阪みどりの百選に選定されている。山田川、糸田川、正雀川など短い川の源流となっているが、どの川も短小で流量が少ないため、農業のために古くから多くのため池が点在している。
地盤は、千里山累層と呼ばれる古期洪積層となる。標高は20メートルから150メートル程度しかない。
川に削られた細長い谷がたくさん丘陵の間に切れ込む、樹枝状浸食谷地形が多くを占める。谷をせきとめてため池にしたりその下流で水田などを作っていたりした。また丘陵の斜面では桑畑なども作っていた。吹田市山田、豊中市上新田などに竹林が残り、吹田市春日(旧・下新田)はタケノコの産地で知られ、当時の農村の面影を見ることができる。京都の太秦からも近いため、時代劇の撮影でも山道のシーンや森の中のシーンなどによく使われていた。
住宅開発による環境の変化[編集]
1921年に千里山へ北大阪電気鉄道(後の阪急千里線)が十三から延び、大阪の郊外住宅地や別荘地として戦前から開発が進んだ。当時は千里山遊園などの遊園地もでき、関西大学も大阪市内から移転してきた。また、1961年には毎日放送の本社機能の一部が、千里丘放送センターとして大阪市内から移転し、1990年まで同社テレビ・ラジオ番組制作の拠点として使われた。高度成長期、大阪市内の環境が悪化し家を建てられる余地もなくなったため、郊外に住宅の需要が増え乱開発の手が千里にも伸びていた。大阪府は民間業者が細かい開発をする前に千里丘陵を大規模な住宅団地に開発して、しかも今後のモデルとなるような秩序あるまちづくりをしようと千里ニュータウン建設のマスタープランを立てた。このため千里丘陵の農地や竹林はあっという間に掘り返され、更地にされて団地になってしまった。開発後数十年たって植えた木が大きくなり、やっと緑豊かな景観ができてきている。
大阪万博以降開発が進み、今では往年の面影を残すところが少なくなってきている。さらに、農村部ということで千里ニュータウンの範囲外になっていた山田や上新田に、大きな団地や超高層マンションが多数建設されており、ニュータウンの部分よりも無秩序な開発になっている。その一方で、服部緑地や、千里南公園・千里北公園などニュータウン内の公園や緑地、ニュータウンの外縁部にある緑地帯などにもとの千里の自然環境の残っているところもあり、都会のオアシスとなっている。千里丘陵にわずかに残る自然の動物としては、吹田市内の企業用地内のキツネ。吹田市内のヒメボタル(小型のホタル)。千里丘陵内のため池に、ベニイトトンボ(準絶滅危惧種)などがいる。
備考[編集]
- 千里山は、元々は「せんりやま」という読みではなく「ちさとやま」であった。吹田市に合併する前の千里村は「ちさとむら」と読み、村内の千里山(ちさとやま)にちなむ。また、吹田市にある千里山・佐井寺図書館は、住民からの公募により、いにしえの名前「ちさと」から「ちさと(千里山・佐井寺図書館)」という愛称が付けられた。
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線(JR京都線)の千里丘駅は摂津市内にある駅で(吹田市・茨木市との市境近くにある)、千里丘陵上ではなくそのふもとに位置する。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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