そうか、楽しみ
尼崎城が復活 戸田氏鉄が建てた4重天守が400年ぶりに蘇る
摂津・尼崎城(あまがさき-じょう)は、兵庫県尼崎市にある平城で、別名は琴浦城、琴城、尼丘城とも言います。
標高は2.6mです。
この尼崎城は、江戸時代の1617年、戸田氏鉄が5万石で入ると新築されました。
この戸田氏鉄(とだ-うじかね)は、徳川家康の家臣・戸田一西(とだ-かずあき)の子として1576年に、三河の二連木にて生まれました。
母は正室・真木氏常の娘です。
父・戸田一西は、1600年の関ケ原の戦いにて、徳川秀忠に従い上田城の戦いに参じていましたが、ただひとり、上田城攻めなど行わず関ケ原に急ごうと進言していたとされ、のちに徳川家康から称賛されています。
そして、大津城に変わる新城として、近江・膳所城を天下普請した際の功もあり、戸田一西は5000石にて初代の膳所藩主となっています。
1602年に父・戸田一西が死去すると、子の戸田氏鉄が家督を継ぎました。
そして、1616年、大坂の陣にて武功を賞され、1616年に5万石の大名となって尼崎藩に移されたと言う事になります。
新しい尼崎城は、3重の堀で囲まれ、本丸には2重櫓が2棟あり、3棟の三重櫓、そして複合式層塔型4重4階の天守や、本丸御殿があったと言います。
また、大物川と庄下川の河口に挟まれていたため、直接、尼崎城に船も横付けできたと言い、海城の側面もあったようです。
その尼崎城があった場所は、小学校や高校になっており、遺構は完全に消滅していると言えます。
しかし、ミドリ電化(現在のエディオン)創業者の安保詮(あぼ-あきら)さんが「創業の地に恩返ししたい」と、約10億円の私財を投じて、尼崎城の天守を再建しました。
もとの場所ではありませんが、現在の尼崎城址公園にその天守が建てられています。
2019年3月28日に「開城記念式典」を行われ、3月29日から一般公開(有料拝観)とになる予定です。
さて、江戸時代の尼崎城ですが、戸田氏鉄が1635年に美濃・大垣城に10万石で加増移封されると、そのあと、掛川城から青山氏が入りました。
青山氏時代の尼崎藩は比較的裕福だったと言われており、青山幸成は尼崎城の改修も行っています。
そのあとは、桜井・松平家の松平忠喬が入ると、松平家の時代に明治維新を迎えています。
明治6年の廃城令で、尼崎城は取り壊されましたが、本丸御殿の一部が深正院の本堂として移築されています。
しかし、太平洋戦争にて焼失してしまいました。
戦国時代の1578年、有岡城の戦いの際に、荒木村重が逃亡した尼崎城(尼崎古城)は、大物城ともされますが、現在の尼崎城跡は、江戸時代になって築城されたため、場所が異なります。
大物城(尼崎古城)に関しては下記で解説させて頂いております。
さて、400年ぶりに天守が再建された尼崎城ですが、今回、阪神甲子園球場にて、阪神タイガースの応援をする際に、空いた時間で立ち寄らせて頂きました。
だいぶ外観はできあがっていましたが、まだ内部などの工事が行われていましたので、入ることはできませんでしたが、また、機会があれば、訪問してみたいところです。
入場料は大人500円、小学生・中学生・高校生は250円と半額になるようです。
尼崎城への交通アクセス・行き方ですが、阪神電鉄・尼崎駅から南東に歩いて約5分となります。
駐車場はないようですので、近隣のコインパーキング利用となります。
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