パレンバン

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パレンバン
Kota Palembang
インドネシアの旗
Montage of Palembang.jpg
パレンバンの市旗
市旗
位置
の位置図
座標 : 南緯2度59分28秒 東経104度45分24秒 / 南緯2.99111度 東経104.75667度 / -2.99111; 104.75667
行政
 インドネシア
  南スマトラ州
 市 パレンバン
市長 H. Eddy Santana Putra
地理
面積  
  市域 400.5 km2 (154.6 mi2)
人口
人口 (2010年現在)
  市域 1,708,413人
    人口密度   3,599人/km2(9,321.4人/mi2
その他
等時帯 インドネシア時間(WIB) (UTC+7)
市外局番 0711
公式ウェブサイト : www.palembang.go.id/

パレンバン(インドネシア語Kota Palembang)はインドネシアスマトラ島の南側にある都市南スマトラ州州都である。中国語では巨港と呼ぶ。

歴史[編集]

この都市はかつてはシュリーヴィジャヤという仏教徒王国の一部で古代首都だったが、1025年インド南部のチョーラ朝からの海賊の襲撃を受けたことによって次第に勢力を失っていった。シュリーヴィジャヤ王国の首都はやがて北方のジャンビ-マラユフランス語版に移った。

1602年にはオランダ東インド会社が創立され、以降インドネシアは長年に渡りオランダ植民地であり続けたため、主要地であったパレンバンでは当時の洋式建築遺跡が見られる(オランダ領東インド)。

オランダ統治時代、当地で石油資源が発見され油田開発が行われた。パレンバン油田での1年間の産油量は当時の日本の年間石油消費量を上回るほどであったため、太平洋戦争における蘭印作戦では日本軍の攻略目標となった。開戦後の1942年2月14日、「空の神兵」と謳われた大日本帝国陸軍空挺部隊である第1挺進団挺進第2連隊が、オランダ軍が守備するパレンバン油田・製油所飛行場に対し奇襲落下傘降下、これらをほぼ無傷で占領する。(パレンバン空挺作戦en:)。パレンバン油田は連合軍による通商破壊で日本本土への石油輸送が困難になるまでの間、主要産油地として貴重な石油を供給し続けた。

2018年にはジャカルタとともに2018年アジア競技大会の開催地となっている。

交通[編集]

鉄道[編集]

  • パレンバンの町はずれクタルパティ駅からルックリンガウ間305kmの鉄道路線は周辺から産出する石炭の輸送ルート、途中に貨物専用線が有り一部区間の複線化され単線区間の複線化工事行われている。クタルパティ駅から12km地点から支線が出ている、これはスリウィジャヤ大学への通学輸送の為に造られた[1]
  • もう一つ、クタルパティ駅から途中のプラブムリーで分離してスマトラ島南端のランプン州州都バンダルランプンのタンジュン・カラン駅(389km)まで鉄道路線が敷設されていて、同市のバカウニ港からの連絡船でジャワ島メラクへ、首都ジャカルタまで乗り継ぐ事ができる。しかし国営バス会社のジャカルタガンビル駅-メラク港-(連絡船)-バカウニ港-バレンバンに直通バスのほうが早く利便性がある[2]
  • 初の都市型公共交通機関となる「軽量高架鉄道(LRT)総延長24.5km・13駅」の路線を建設中[3]

水運[編集]

ムシ川は河口からパレンバンまで約6.5mの深さに浚渫されていて大型船が航行できるようになっている。港湾施設は主に石油、ゴム、石炭の輸出に使われている。

地理[編集]

市を東西に通過する形で、ムシ川が流れていて、「ジュンバタン・アンペラ」と称する大きな昇降橋が結んでいる。