吉本せい
吉本せい | |
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生誕 | 1889年12月5日 兵庫県明石市 |
死没 | 1950年3月14日(60歳) |
職業 | 吉本興業創業者、芸能プロモーター |
配偶者 | 吉本吉兵衛 |
子供 | 喜代子(10歳で死亡)、千代子(早世)、峰子、吉子(早世)、幸子、邦子、泰之助(早世)、頴右(1947年没) |
吉本 せい(よしもと せい、1889年12月5日 - 1950年3月14日)は、吉本興業創業者、芸能プロモーター。
目次
[非表示]人物[編集]
- 1889年12月5日、兵庫県明石市で米穀商の三女(第4子)として出生。
- 1910年4月の20歳の時に、大阪市東区(現・中央区)内本町橋詰町の「箸吉(はしよし)」の息子吉本吉兵衛(通称:吉本泰三)と結婚(実際には1907年12月の18歳のころから結婚生活であった)。「箸吉」は、高級料亭に箸を納める老舗荒物問屋であった。
- 1912年(明治45年)4月1日、夫婦で天満八軒[注釈 1]の一つ「第二文芸館」を買収し、寄席経営をはじめる。
- 1913年(大正2年)1月、大阪市南区笠屋町(現・大阪市中央区東心斎橋)に「吉本興行部」を設立。
- 1932年(昭和7年)3月1日に吉本興行部を改組する形で「吉本興業合名会社」を発足。
- 1948年1月7日、吉本興業合名会社から「吉本興業株式会社」に改組。会長に就任。
- 1950年3月14日、肺結核で死去。享年60。
親族ほか[編集]
- 実弟は林正之助と東京吉本社長も務めた林弘高がいた。
- 夫・吉兵衛とは1924年に死別。吉兵衛との間には吉本穎右ら2男6女を儲けているが、穎右(1947年、24歳没)ほか多くは早世している。このほか、せい自身の話によると2人ほど流産もしくは死産だった子供がいるらしい。
- 穎右は笠置シヅ子と交際していた。ただしせいが当初反対したことや、穎右自身の早世により結婚には至らなかった。両者の間には、せいの孫にあたる女児(亀井エイ子)が生まれている。
家族一覧[編集]
- 長女:吉本喜代子 明治43年(1910年)11月6日 - 大正9年(1920年)/大正10年(1921年)
- 次女:吉本千代子 明治44年(1911年)11月17日 - 明治44年(1911年)11月27日
- 三女:吉本峰子 大正3年(1914年)1月14日 - 没年不明
- 後に吉本恵津子と改名。せいの没後、吉本興業の株などを相続。
- 四女:吉本吉子 大正5年(1915年)4月12日 - 大正6年(1916年)
- 五女:吉本幸子 大正9年(1920年)9月3日 - 没年不明
- 六女:吉本邦子 大正11年(1922年)7月6日 - 没年不明
- 長男:吉本泰之助 大正6年(1916年)12月1日 - 大正8年(1918年)
- 次男:吉本泰典 大正12年(1923年)10月26日 - 昭和22年(1947年)5月19日
- 後に吉本頴右と改名。没後に唯一の実子・亀井エイ子が誕生。エイ子は吉本家には入っていないため、吉本家の頴右の家系は断絶。
登場作品[編集]
以下は、せいをモデルとしたフィクション上の人物も含む。
小説[編集]
舞台[編集]
- 芸術座公演『花のれん』(1958年、演出:菊田一夫、演:三益愛子、役名は「河島多加」)
- 帝国劇場公演『桜月記-女興行師 吉本せい』(1991年、原作:矢野誠一、演:森光子)
- 吉本興業創業100周年記念公演『吉本百年物語』(2012年、なんばグランド花月)
- 新橋演舞場・博多座公演『笑う門には福来たる〜女興行師 吉本せい〜』(2014年、演:藤山直美)
- 東宝公演『おもろい女』(2015年、演:正司花江、役名は「菱本せつ」)
- 大阪松竹座公演『笑う門には福来たる〜女興行師 吉本せい〜』(2016年、演:藤山直美)
映画[編集]
テレビドラマ[編集]
- フジテレビ三菱ダイヤモンド劇場『花のれん』(1960年、演:万代峰子、役名は「河島多加」)
- NHK『横堀川』(1966年 - 1967年、演:南田洋子、役名は「河島多加」)
- NHK連続テレビ小説
- 関西テレビ『花王名人劇場』「にっぽん笑売人」(1988年、演:小川真由美)
- テレビ東京スペシャルドラマ『花のれん』(1995年、演:宮本信子、役名は「河島多加」)
- 東海テレビ『鈴子の恋 ミヤコ蝶々女の一代記』(2012年、演:かとうかず子)
歴史ドキュメンタリー[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 天満八軒は昔、飲食店や土産物屋が立ち並ぶ8軒の寄席が集まったことから、大阪の人々はそう呼んでいた。
出典[編集]
参考文献[編集]
関連項目[編集]
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