来てね サンキュー(3/9) 11時 すいはく 遊梅夢(ゆめゆめ)3
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千里竹の会帰りに、千里南公園に「梅」を見に行きました◎。
http://minabe.net/gaku/index.html
日本の弥生(やよい)時代の様子を、中国人が観察記録した『魏志倭人伝』には、
倭国(現在の日本)に生息する植物(樹木・草類)が記されている。
学者たちはこの「植物名」を、さまざまに解釈してきた。http://minabe.net/gaku/rekishi/gishiwajinden.html
「梅」は寒気の中、百花に先駆けて花咲き、一番に「春」を知らせてくれます。
あなたの身近にも、きっと「梅」はありますよ。どうぞ素敵な春を捜してくださいね!
http://minabe.net/gaku/hana/meisyo.
http://minabe.net/gaku/hana/meisyo_oosaka.html
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千里石ぶみの丘
千里南公園は、歌碑・石碑が充実している公園です。
千里南公園は、拓本採集ができる公園として、全国から愛好家が集まる有名な公園ですが、ここの歌碑・石碑は、市民の寄贈により設置されました。
石碑となっている歌や句は、万葉集や松尾芭蕉、小林一茶、与謝野晶子など、有名なものもあります。
おなじみの千里南公園で、気軽に文学散歩はいかがですか。
http://www.city.suita.osaka.jp/home/soshiki/div-dorokoen/ryokkakouen/etc/parknavi/park/ishibumi.html#contentstart
道元禅師 雲門文堰禅語碑
日々是好日 (日々、これ好日) 春に百花あり 夏に緑風あり 秋に紅葉あり 冬雪ありて 涼しかりけり 若し閑事の心頭にか挂ぐ無くんば 便ち是人間の好事節 道元
この語は雲門文偃が弟子たちに向って、自問自答のかたちで、自分の生き方を告白されたものであるといわれる。
筆者の道元(1200~53)は京都の久我家の出身。十四歳で比叡山にのぼり出家したが、天台の教学にとけこめず、建仁寺を訪ねて栄西と明全に禅を学んだ後、明全とともに宋に渡り、天童山の如浄について参禅・帰朝後越前(福井県)の永平寺に移り、生涯を弟子の養成と仏法の興隆に捧げた。この語は道元の生き方であったともいわれる。
来る日も来る日も、楽しく平和なよい日が続く。一日一日を大切に生きる心がまえを教えていう。
地図 ⑤
会津八一(明治14~昭和31年)歌碑 ↑↑↑ 地図 ⑫
ひそみきて たがつくかねぞ さよふけて ほとけもゆめに いりたまふころ
万葉調を基調とし、浄化の息づかいと古代の憧景(しょうけい)の思いで満たされています。
八一は明治十四年(1881)新潟県に生れ、中学時代から短歌・俳句を作り、早稲田大学卒業後母校で教鞭をとった。のち「夕刊ニイガタ」を主宰し、「南京新唱」「山光集」「寒燈集」などの歌集を出している。秋艸道人の名で世に知られるようになったのは、昭和十五年に 「鹿鳴集」を出してからである。
短歌については素人をもって自任し、時流の外の存在として自らを持し、生涯歌風を変えなかった。
万葉調で古都詠唱をし、独自の歌風を開いた。仮名書きによる流麗で浪漫的な歌、対象への深い洞察の態度がある。書家としても一家をなした。歌集『南京新唱』『鹿鳴集』『寒灯集』随筆『渾斎随筆』などがある
吹田くわい
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