中村美律子さんが小松みつ子さんとは知りませんでした。
河内男ぶし -大東市に勤務していた時-と 河内音頭は、夏の夕暮れに
番場忠太郎地蔵尊
1番の曲が 河内音頭 忠太郎です おっ母さん <瞼の母より>-中村美律子さんが小松みつ子-
軒下三寸借り受けましての仁義失礼さんでござんす
野郎生国と発しますところ
江州は坂田の都 擂り鉢峠の番場宿沖長屋の倅 忠太郎にござんす
瞼の母
瞼の母 - Wikipedia
番場・蓮華寺の忠太郎地蔵尊
「お前さんかい私に会いたいてぇのは、忙しいんだからね、あんまり長い話は御免だよ」 「ヘッ 藪から棒でさぞ驚いた事と思いますが 当たって砕ける心持ちでお尋ね致しますでござんす。女将さんはもしや あっしぐれぇの年頃の男の子を持った覚えはござんせんか 、あっその顔は、女将さん覚えが有るな。所は江州坂田郡 醒井から南へ一里 すり鉢峠の番場宿」 「それがどうしたってんだ」 「6代続いた旅籠屋で置長屋忠兵ェと言う人 、あなたはご存知のはずた」 「知ってますとも 、知ってるどころか 私が若い時分に嫁いだ宿屋だ」 「それじゃ やっぱり、逢いとうござんした。おっかさん」 「よしておくれな、何だいこの人は、変な真似をすると承知しないよ。なるほどあたしゃ30年程前、置長屋忠兵ェとの間に忠太郎と言う子は生んだ」 「その忠太郎があっしでござんす」 「まぁいいから お聞きな、その忠太郎が五つの時、忠兵ェとの仲が妙にこじれて あたしゃ置長屋を出てしまったんだ。けれどもお腹を痛めた子供だもの、忠太郎はどうしているか、患ってんじゃないかしらと江戸の空から江州の番場の空へ願掛けて、どうぞお守り下さいと手を合わせて泣いたのも数えきれない程だった」 「そうでござんすか、五つとい言やアちったア 物も解ろうに、今も生みのお袋の顔もさっぱり覚えがねェ 何てバカな生まれつきだと 自分を悔やんで長ェ間、手掛かりもねェまんま捜し歩いている内に哀れじゃござんせんか。おっかさん あっしも30を越しました。」 「お黙りっ、又してもおっかさんとは何てこったい、私の子の忠太郎はね、九つの時にはやり病で死んだと聞いている」
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