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瀬という字に、気をとられました。
八瀬(地名の由来 京都 八瀬で検索)
http://everkyoto.web.fc2.com/report141.html
↑は凄く きれいな写真が満杯。
三千院 御殿門
2013年10月30日に、HPとうで確認 一番 曖昧だったのがアクセス
バスの時刻 紅葉のシーズ 京都は歩けのはず
大原のバス停が 一番わかりやすかった。
-2カ所確認 電話で 三千院 京都バス-
拝観料 700円
泊まりたい宿と (ここまで車・タクシーでこれる/地下鉄 国際会館駅前で バス 19番 大原行き 13:06発を待っている時、 80才前のおかさん2人にボディーガードで 三千院につれて行ってね)
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2.国際会館駅の周り ・・・バス19番 大原へ・・・三千院
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3.三千院 往生極楽院~お昼~6百mのくだり ~大原バス停~バス(40停留所 /大原から35番目 四条河原町でおりる そして 阪急 特急 梅田/2人も、四条河原町でおりました。
姉妹で、お一人は清水寺の近くにお住まい 、もう一方は鳥取県から ・・今でも、自分でお車運転とか
丁寧なお礼を言われて恐縮しました。
さようなら ・・・ ぐっすり今夜は寝られますが心に残りました。
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1.吹田~阪急~地下鉄 国際会館
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http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/oohara-sanzen_in.htm
<大原散策>
大原の里は、比叡山の北西山麓。京都から福井への街道(小浜街道:京都から福井までの道で、小浜で獲った魚を京洛へ運ぶ道として使われたため、鯖街道の別名でも知られている)筋にある豊かな自然が残る山村。その昔、京洛で生活していた貴族や比叡の僧侶などが静かな生活を求め隠棲したことから、山間には幾つかの寺院が残る。これら寺院は、比叡山の天台系寺院で、声明修業の僧院として開かれている。
平成25年11月5日(火) NHK2で ・・・お二人が行って見たいと言われたことが、放映されていた。 10時25分猫しっぽ ベニシア 銅鍋の磨き方
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猫のしっぽ カエルの手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
猫のしっぽ カエルの手 (ねこのしっぽカエルのて)は、2009年 4月5日 からNHKデジタル衛星ハイビジョン で、2011年 4月8日からは新設されたNHK BSプレミアム で毎週金曜午後7:30から放送されている紀行番組である(字幕放送 )。海外向けのNHKワールド でもNHKワールドTV とNHKワールド・プレミアムの両波で放送されており、NHKワールドTVでは「At Home with Venetia in Kyoto 」のタイトルで英語音声吹き替えおよび英語字幕付きで放送されている。
CS 放送は2010年 からLaLa TV で「京都 大原 ベニシアの手づくり暮らし」を放送している。
放送当初は「京都 大原 ベニシアの手づくり暮らし」のみの放送で、2011年6月17日 からは「トスカーナの山暮らし」と交互で放送されていたが、「トスカーナの山暮らし」は半年で終了し、「京都 大原 ベニシアの手づくり暮らし」も2013年2月22日を最後に終了。2013年4月からEテレ で再放送を行う。
京都 大原 ベニシアの手づくり暮らし[編集 ]
イギリス 出身のハーブ 研究家であるベニシア・スタンリー・スミス が、在住する京都府 京都市 大原 を舞台に、地域の人々の暮らしや風土、そして自らの料理や、ハーブを使っての様々な手づくりを紹介する。しかし番組の主な舞台となるベニシアの自宅を訪れる観光客が増加し、ベニシアとその家族、周囲の人々に迷惑がかかるようになり、番組やホームページで訪問を自粛するよう注意を呼びかけるという異例の事態に発展し、番組も2012年後半からアンコール放送の割合が増え、本放送も自宅ではなく地方でのロケ収録が中心となっていった。2013年2月22日の第95回を最後に終了。
千院
宗派:
天台宗 山門派
HP: http://www.sanzenin.or.jp/
さんぜんいん
山号:
大原
住所:
京都市左京区大原来迎院町540
電話:
075- 744-2531
拝観:
3 月~ 11 月 8:30 ~ 17:00 12 月~ 2 月 8:300 ~ 16:30
拝観料:700円
交通:
JR京都駅から 京都バス「大原」下車、徒歩約10分。京都バスは 京阪電車の「出町柳」からも乗れます。
京都市内から大原方面への京都バス始発停留所・時刻は 「京都バス」のホームページ で確認ください。
「京都 大原 三千院 恋に疲れた女が 一人……」の歌詞で始まるヒット曲で全国的に知られることになった三千院。別名、梶井門跡や梨本門跡、円融院門跡とも。元永元年(1118)堀川天皇第二皇子・最雲法親王が梶井宮に入室されて門跡寺院となった。門跡寺院とは、皇子や皇女が出家して住持する寺。三千院は親王が出家して住した宮門跡で、妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡のひとつとして歴代の天台座主を輩出してきた。明治になって三千院と公称するようになった。 開基は、伝教大師最澄上人(
767 ~ 822 ) で、延暦年間 (782 ~ 806) の比叡山東塔の南谷に一乗止観院(後の延暦寺 )を建てているが、併せて東谷に建てた円融房が三千院の起源とされている。 古くは応徳3年(1086)、東坂本梶井の里(現大津市阪本町)に白河天皇の中宮・藤原賢子(けんし)の菩提を弔うために建てた円徳院を 円融房の里坊・梶井門とされ た。 その後、堀川天皇の皇子・最雲(さいうん)法皇子が門主となって梶井門跡となった。保元元年(1156)、声明修業の道場が集散する勝林院、来迎院など大原寺を管轄する政所とされた。 貞永元年(1232)、円徳院が焼失し大原へ移っている。 応仁の乱後、政所であった現在の地を一時御殿とされたが、元禄11年(1698)、京都御所の東側(現・京都府立病院)に御殿(本坊)を構え、以来、歴代の法親王は本坊に住まわれるようになった。時代の流れの中、本坊は大原に移り、明治29年(1896)、往生極楽院を本堂にして、三千院門跡となり現在に至る。 三千院の拝観は、「紅葉の馬場」に面した御殿門を入って左手が玄関。上がると客殿へ続く。客殿は、池泉鑑賞式の庭園・聚碧園(しゅうへきえん)となる。江戸初期の茶人として有名な金森宗和が作庭したと言われる。また、襖絵は下村観山・竹内栖鳳・望月玉泉・菊池芳文など、明治画壇の作品。
客殿の前の池泉鑑賞式庭園・聚碧園(しゅうへきえん)は、見る方向により新緑が異な り美しい。池の水は律川から引かれている。
続く宸殿は、法儀を執行するところで、御所の紫宸殿の外観を模している。内陣に木像救世観音・木像不動明王(伝・慈覚大師作)を安置している。宸殿の柱に「等持定理青苔地、円覚観前紅葉林」の伝教大師の言葉が掲げられている。南には二面の苔庭があり、上の有清園(ゆうせえん)、中の「瑠璃光庭」と称されている。宸殿から杉木立と青苔を透して本堂の往生極楽院阿弥陀堂が見える。庭園は、四季折々の景観が楽しめる。庭は心の修養の道場と言われ、春は石楠花(シャクナゲ)、初夏は紫陽花(アジサイ)、秋は紅葉(モミジ)を観賞できる。 本堂の往生極楽院阿弥陀堂は、平安末期の久安4 年(1148) の建立で、高松中納言実衝(さねひら)の妻・真如房尼が29 歳の若さで夫を亡くし、供養のために建てた常行三昧堂とされている。真如房尼は、90 日間休まず念仏を唱えながら、ひたすら仏の周りを回る不眠不臥(ふみんふが)の業を約30 年間も続けたという。本尊は薬師瑠璃光如来(秘仏)。阿弥陀如来三尊像(国宝)の脇侍は、両菩薩像とも膝を開いた前かがみが(大和坐り)が珍しいといわれている。
法儀が行われる宸殿。毎年5月30日に声明行事の「御懺法講(ごせんほうこう)」が催される。
往生極楽院阿弥陀堂
弁財天像
往生極楽院阿弥陀堂の南に朱色の門がある。この門、普段は閉じられているが三千院の正門「朱雀門」。 往生極楽院から東の高台へ進むと金色不動堂、観音堂となる。金色不動堂の東の道には枝垂桜ががあり、その奥に大原の石仏が見られる。この辺りの小道は、紫陽花が両側に植えられ、花を咲かせ始めていた。
境内の東の高台にある観音堂
有清園の東にある紫陽花苑
境内の東北隅に、大原の石仏と呼ばれる高さ2mの阿弥陀石仏がある。
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