岩波書店の初の出版物が「夏目漱石のこころ」
こころ
『こゝろ』(こころ)とは、夏目漱石の代表作となる長編小説。友情と恋愛の板ばさみになりながらも結局は友人より、恋人を取ったために罪悪感に苛まれた「先生」からの遺書を通して、明治高等遊民の利己を書く。1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで、「朝日新聞」で「心 先生の遺書」として連載。同年に岩波書店より漱石自身の装丁で刊行された。なお、自費出版という形式ではあるが、この作品が岩波書店にとって出版社として発刊した最初の出版物である。
岩波書店
1913年(大正2年)8月5日、岩波茂雄が東京市神田区南神保町16番地(現・東京都千代田区神田神保町)に開いた古書店として出発。正札販売方法を採用し、注目を集めた。翌1914年(大正3年)に夏目漱石の『こゝろ』を刊行し、出版業にも進出。漱石没後に『夏目漱石全集』を刊行し、躍進する。看板は漱石の筆による。
多くの学術書を出版するだけでなく、岩波文庫や岩波新書を出版するなどして古典や学術研究の成果を社会に普及させることに貢献。文化の大衆化に多大な影響を与えた。昭和時代にはしばしば、大衆的な路線を貫く講談社と対比された。
戦前には、いわゆる共産主義講座派の拠点であった。
1933年(昭和8年)12月10日にミレーの絵画『種をまく人』を題材にとったマークの使用を開始(実際のマークはデザイナーによってかなり加工されている)。1949年(昭和24年)4月25日に株式会社に改組。社長も岩波家の世襲から脱した。
沿革[編集]
- 1913年創業
- 1949年設立
販売店での扱い[編集]
岩波書店は他の出版社の用いる返品制を採用しておらず、全て書店の買い切りという責任販売制の形をとっている。また、比較的高正味(=出版社側の取り分が多い)であるため値下げもできず、不良在庫となっても処分が難しい面も持ち合わせている(なお、値下げができないという点などについては日本に出版物再販制度があるため、日本国内の同業他社においてもその部分は同じと言える)。そのため書店の岩波新書の多くは隅のコーナーでありながら日焼けしていたり、小さな書店ではほとんど取り扱っていない事が多い。
雇用における特徴[編集]
かつては業界内では最も高い給与体系としても知られていたが、現在は中堅出版社並みである。また、2013年度定期採用は事実上の縁故採用に限る方針を発表した[1]。岩波書店は批判を受け、サイトで「あくまで応募の際の条件であり、採用の判断基準ではありません。」とする謹告を出した[2]。
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