2013 平成25年 癸巳
1月 睦月 January
17日木曜日 第 3週 旧12月6日
午前11時21分 晴れ 17.2℃ 湿度 38% 大阪 吹田市 室内
土用 阪神淡路大震災記念日
18年 秋田梵天祭 防災とボランティアの日
不成就日 みすのとひつじ 二黒・大安 二十八宿 井(セイ)中潮
言うは易く行うは難し
神武紀元2673年 昭和88年 大正102年
明治146年 イスラ-ム歴1434年
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新年のカレンダーが文具店の店先を飾る季節となりました。カレンダーは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けた「暦(こよみ)」を記載したものです。暦には、太陽を基準とした「太陽暦」、太陽と月とを併用した「太陰太陽暦」、月齢を基準とした「太陰暦」 があります。実は、暦の元祖は「太陰暦」。古代バビロニアの僧侶たちによって、月の満ち欠けが一定の周期で行われることが発見され、それを基とした暦が編み出されました。ローマに受け継がれてからも、僧侶たちは絶えず月を観測し、新月には笛を鳴らして市民に知らせました。新月の次の日を「月の最初の日」と定め、金銭の精算をする基準日にしたといいます。
日本ではいつ頃、暦が使われるようになったのでしょうか。日本書紀には「553(欽明天皇14)年に、百済(古代の朝鮮半島南西部にあった国家)へ暦博士の来朝を求めた」とあります。また、602(推古天皇10)年は、観勅が来朝して暦法を伝え、日本の学生に学ばせたという記録が残っています。
現在の太陽暦(グレゴリオ暦)を使用するようになったのは、1873(明治6)年から。前年の1872年11月9日に太陰太陽暦からの移行が公布され、「来る12月3日を新暦の明治6年元日とする」と発表されました。1カ月もたたないうちに暦が変わることになった人びとの混乱ぶりは、いかほどだったでしょうか。しかし、社会は太陽暦にのっとって動いていましたが、市井の人びとの暮らしはまだまだ旧暦によるところが大きく、農村の種まきや行事・歳時記、冠婚葬祭などは太陰太陽暦にそって行われていました。昭和20年代までには、「新暦と旧暦を併用している」人が全国で半数近くもいたという調査もあるそうですから、暦の習慣も根強いものがありますね。また、12月3日に改暦されたことに基づき、この日を「カレンダーの日」と定めています。
現在ではさまざまなデザインのカレンダーが目を楽しませてくれますが、当初の「こよみ」は小冊子の形をとったものが主流で、暦屋の団体である領暦商社でしか発行できませんでした。1883年(明治16年)からは1枚摺りの略歴の発行が自由となります。この頃のいちばん人気のこよみは、伊勢の神宮司庁で発行されていた伊勢暦。ここでしか買えない“地域限定品”といったところですね。1903年(明治36年)には“日めくり”カレンダーが大阪でお目見え。日めくりには旧暦も併記され、美しい台紙に告知や広告が入った物で、会社などが大量につくり、年末の挨拶として得意先やお客さまに配布しました。今日、主流となっているカラー写真の入った“月めくり”カレンダーが多く流通するようになるのは、1945年(昭和20年)以降のことです。
2007年の日めくりカレンダーも残り少なになりました。光陰矢のごとし、という言葉も浮かびますが、流れてゆく時間は、いついかなる時でも、私たちに平等に与えられているものです。それをどのように使うかは、一人ひとり次第。悔いなく十全に、日々を重ねていきたいものですね。