伝説・伝承 [編集]
戦場ヶ原(せんじょうがはら)は、栃木県日光市の日光国立公園内にある高層湿原である。標高は約1,390mから1,400mである。
戦場ヶ原という地名は、山の神がこの湿原を舞台に争いを繰り広げたという伝説に由来している[
には、男体山の神と赤城山の神がそれぞれ大蛇と大ムカデになって戦い、男体山の神が勝利をおさめた、という伝説がある。赤城山の北にある老神温泉の地名は、このとき落ち延びた神が追われてやってきたことに由来するといわれ、「アカギ」という山名も神が流した血で赤く染まったことから「赤き」が転じたという説もある。 また、戦場ヶ原で負けた赤城山の神は老神温泉で傷を癒した後に男体山の神を追い返したという。
江戸川沿いにある千葉県の流山市には、赤城神社の祀られた小山があり、大洪水の際に赤城山の山体の一部が流れてきたものだ、という伝説がある。「流山」という地名はこれに由来するという。
赤城山といえば、上州・国定忠治で有名であり、明治、大正、昭和初期に講談や新国劇の題材として大人気だった。国定忠治の一節「赤城の山も今宵限り、生まれ故郷の国定村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い乾分(こぶん )の手前(てめえ) たちとも、別れ別れになる首途(かどで)だ。」の台詞で、この山の名前が全国に広がった。
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赤沼 [編集]
赤沼(あかぬま)は、戦場ヶ原南戦場地の南東端、東戦場地の南西端付近の地名。
『赤沼』の地名の由来として、戦場ヶ原の伝説に、二荒神に加勢した小野猿丸が放った矢が赤城神大ムカデの眉間を貫き真っ赤な血を流しながら退散した際に水が赤色に染まったことに由来する、との伝承がある[7]。
赤沼の地内には小川『赤沼川』が東西方向に流れる。
国道120号沿いには東武バス日光のバス停『赤沼』があり、また国道の両側には『赤沼茶屋』と無料休憩所が在り、戦場ヶ原をはじめ小田代ヶ原および遠く西ノ湖や中禅寺湖西岸の千手ヶ浜、千手ヶ原方面へのハイキングの拠点となっている。このほか赤沼茶屋の東側には赤沼自然情報センターがあり、低公害バスの発着点(赤沼車庫)となっている。
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