福島第一原発 半径2Km県内に避難指示
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福島第一原子力発電所
福島第一原子力発電所(ふくしまだいいちげんしりょくはつでんしょ)は福島県双葉郡大熊町および双葉町にまたがる東京電力の原子力発電所。略称は1F(いちえふ)。
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沿革
- 1960年(昭和35年)11月29日:福島県から東京電力に対し、双葉郡への原子力発電所誘致の敷地提供をする旨表明する。
- 1961年(昭和36年)9月19日:大熊町議会にて原子力発電所誘致促進を議決する。
- 10月22日:双葉町議会にて原子力発電所誘致を議決する。
- 1964年(昭和39年)12月1日:東京電力が大熊町に福島調査所を設置する(65年福島原子力建設準備事務所、67年福島原子力建設所となる)。
- 1966年(昭和41年)1月5日:公有水面埋立免許の許可を申請する。
- 1967年(昭和42年)9月18日:2号機の原子炉設置許可申請を提出する。
- 9月29日:1号機を着工する。
- 1968年(昭和43年)3月29日:国が2号機の原子炉設置を許可する。
- 1969年(昭和44年)4月4日:福島県と東京電力の間で「原子力発電所の安全確保に関する協定」が締結される。
- 7月1日:3号機の原子炉設置許可申請を提出する。
- 1970年(昭和45年)1月23日:国が3号機の原子炉設置を許可する。
- 1971年(昭和46年)2月22日:5号機の原子炉設置許可申請を提出する。
- 1972年(昭和47年)1月13日:国が4号機の原子炉設置を許可する。
- 12月12日:国が6号機の原子炉設置を許可する。
- 1974年(昭和49年)7月18日:2号機の営業運転を開始する。
- 1976年(昭和51年)3月22日:「原子力発電所周辺地域の安全確保に関する協定」を「立地4町を加えた三者協定」へと改定する。
- 3月27日:3号機の営業運転を開始する。
- 1978年(昭和53年)4月18日:5号機の営業運転を開始する。
- 10月12日:4号機の営業運転を開始する。
- 1979年(昭和54年)10月24日:6号機の営業運転を開始する。
- 2000年(平成12年)1月7日:3号機において実施予定であったMOX燃料の装荷について延期する旨を県知事に報告する。
- 2001年(平成13年)2月26日:佐藤栄佐久福島県知事(当時)が3号機プルサーマル計画について、当面許可しない旨を表明する。
- 2002年(平成14年)8月29日:東京電力、原子力安全・保安院が原子力発電所における点検・補修作業の不適切な取り扱いについて公表する。
- 10月25日:東京電力が1号機の原子炉格納容器漏洩率試験における不正に関する報告書を経済産業省に提出する。また、1号機の1年間の運転停止処分を受ける。
- 2003年(平成15年)4月15日:定期検査時期等も重なり、東京電力の運転する原子力発電所全号機が運転を停止する。
- 7月10日:佐藤栄佐久福島県知事(当時)が6号機の運転再開を容認する。
- 2005年(平成17年)7月30日:1号機の運転を再開する。
- 2006年(平成18年)12月5日:1号機における復水器海水出入口温度測定データの改ざんについて報告する。
- 2010年(平成22年)2月16日:福島県知事は2月定例県議会で、東京電力が福島県に申し入れていた福島第1原発3号機でのプルサーマル計画実施について、条件付で受け入れることを表明した。同知事は、昨年から県エネルギー政策検討会を再開して検討してきたこと、核燃料サイクル推進という国の方針、玄海原発でのプルサーマル発電の開始などに言及、受け入れる考えを述べた。[2]
発電設備
原子炉 | 原子炉形式 | 運転開始 | 定格電気出力 |
---|---|---|---|
1号機 | 沸騰水型軽水炉 | 1971年3月26日 | 46.0万キロワット |
2号機 | 沸騰水型軽水炉 | 1974年7月18日 | 78.4万キロワット |
3号機 | 沸騰水型軽水炉 | 1976年3月27日 | 78.4万キロワット |
4号機 | 沸騰水型軽水炉 | 1978年10月12日 | 78.4万キロワット |
5号機 | 沸騰水型軽水炉 | 1978年4月18日 | 78.4万キロワット |
6号機 | 沸騰水型軽水炉 | 1979年10月24日 | 110万キロワット |
7号機(計画中) | 改良型沸騰水型軽水炉 | 2013年10月予定 | 138万キロワット |
8号機(計画中) | 改良型沸騰水型軽水炉 | 2014年10月予定 | 138万キロワット |
過去の主なトラブル
詳細は「原子力事故」を参照
- 1976年4月2日
- 構内で火災が発生したが外部には公表されなかった。しかし田原総一朗に宛てた内部告発により事故の発生が明らかになり、告発の一ヶ月後東京電力は事故の発生を認めた。
- 1978年11月2日 3号機事故
- 日本初の臨界事故とされる。この事故が公表されたのは事故発生から29年後の2007年3月22日になってからであった。
- 1990年9月9日 3号機事故
- 主蒸気隔離弁を止めるピンが壊れた結果、原子炉圧力が上昇して「中性子束高」の信号により自動停止した。INESレベル2。
- 1998年2月22日 4号機
- 定期検査中、137本の制御棒のうちの34本が50分間、全体の25分の1(1ノッチ約15cm)抜けた。
脚注
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- ^ 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。(1975年度撮影)
- ^ “東京電力のプルサーマル発電、福島県知事が受け入れる方針”. 産経新聞.(2010年2月16日). http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100216/biz1002162038041-n1.htm 2011年1月11日閲覧。
関連項目
外部リンク
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座標: 北緯37度25分17秒 東経141度02分01秒 / 北緯37.42139度 東経141.03361度 / 37.42139; 141.03361
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平成23年3月12日(土) 午前10時24分
福島原発
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