常光円満寺
頂いた資料の丸写し(A3 1枚)
「中島崇禅寺田園目録」(寛正2年(1461)室町時代)の中に「石浦城(いそらじょう)」
という記述が見える。常光円満寺文書「細川業氏寄進状」(至徳2年(1385)南北朝時代)
には「石浦神宮」という記述が見えまるが、常光円満寺のことを指すと考えられる。
吹田西庄一帯は石浦と呼ばれており、石浦城の位置は確定できてないものの、西の庄から円満寺一帯のあたりに存在したと考えられる。
-常光円満寺さんで頂いた物です。-
本土の側面
・・・・2009年5月10日・・吹田市立博物館で、常光円満寺は、それなりに・・・
-一番の思いでは、40歳頃に円満寺さんにお邪魔したことがあります・・まぁ、灯台・・暮らしてすか。-博×小山修三=吹田市立博物館!
博物館トーク「常光円満寺と吹田氏」
コメント
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