No. 4 太田道灌いわれの歌・歌碑 七重八重(ななえやえ)
後拾遣和歌集 巻19
歌碑の高さ:81cm 巾:89cm
七重八重 花は咲けど母 山吹の 三乃ひとつだに なきそかなし記
舟聲書
ななえやえ はなはさけども やまぶきの みのひとつだに なきぞかなしき
日野舟聲の書
山吹は七重八重に花が咲くが、実の一つさえ付けないのがかなしい 中務卿兼明親王 作「蓑(みの)ひとつさえない」と掛け言葉
「常山紀談」によると、太田道灌(1432~1486、江戸城を1457年長禄7年築城)が鷹狩に出て雨にあい、みの(蓑:雨具)を借りようとして立ち寄った貧しい農家で、少女が山吹の一枝を差し出しました。
道灌は意味がわからず、側近に歌に例えた「蓑ひとつだになきぞかなしき」を教えられ、恥じて歌の勉強に励んだ、とありますが、農家の少女が500年も前の歌を知っていたのでしょうか。
後拾遺和歌集(巻19)*には、中務卿兼明親王(醍醐天皇の子、914-987)自身の出来事とあります。
(「蓑一つだになきぞあやしき」となっています)
小倉の家(京都の西、小倉山の近くにあった兼明親王の家)に蓑を借りにきた人に山吹の枝を折って渡したが、後日意味が分からないと云ってきたのでこの歌を詠んで送ったと書いています。
蓑を貸せなくて気の毒だったという意味の他に、蓑一つない自分の生活を悲しんでいます。
参考図書
* 後拾遺和歌集(巻19 雑5):新日本古典文学大系 8 岩波書店
日本名歌集成 : 學燈社
4枚の写真は、2008/6/5に、挿入
いずれも、彦坂様より
碑の高さ:81cm
巾:89cm
採拓の寸法
楯:52
横:60
設置場所
□4のとこ
箕(みの)
後拾遣和歌集 巻19
歌碑の高さ:81cm 巾:89cm
七重八重 花は咲けど母 山吹の 三乃ひとつだに なきそかなし記
舟聲書
ななえやえ はなはさけども やまぶきの みのひとつだに なきぞかなしき
日野舟聲の書
山吹は七重八重に花が咲くが、実の一つさえ付けないのがかなしい 中務卿兼明親王 作「蓑(みの)ひとつさえない」と掛け言葉
「常山紀談」によると、太田道灌(1432~1486、江戸城を1457年長禄7年築城)が鷹狩に出て雨にあい、みの(蓑:雨具)を借りようとして立ち寄った貧しい農家で、少女が山吹の一枝を差し出しました。
道灌は意味がわからず、側近に歌に例えた「蓑ひとつだになきぞかなしき」を教えられ、恥じて歌の勉強に励んだ、とありますが、農家の少女が500年も前の歌を知っていたのでしょうか。
後拾遺和歌集(巻19)*には、中務卿兼明親王(醍醐天皇の子、914-987)自身の出来事とあります。
(「蓑一つだになきぞあやしき」となっています)
小倉の家(京都の西、小倉山の近くにあった兼明親王の家)に蓑を借りにきた人に山吹の枝を折って渡したが、後日意味が分からないと云ってきたのでこの歌を詠んで送ったと書いています。
蓑を貸せなくて気の毒だったという意味の他に、蓑一つない自分の生活を悲しんでいます。
参考図書
* 後拾遺和歌集(巻19 雑5):新日本古典文学大系 8 岩波書店
日本名歌集成 : 學燈社
4枚の写真は、2008/6/5に、挿入
いずれも、彦坂様より
碑の高さ:81cm
巾:89cm
採拓の寸法
楯:52
横:60
設置場所
□4のとこ
箕(みの)
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