No. 3 柳原白蓮歌碑 和田津海の(わだつみの)
歌碑の高さ:85cm 巾:60cm
わだつみの おきに たぞや
和田津海の 沖に火もゆる 火の国に われあり 誰ぞや おもはれ人は 白蓮 (眞筆)
私は筑紫の国に悲しく住んでいるが、その私に思われて真実の愛を受ける人は誰であろうか
白蓮は明治十八年(1885)柳原前光の娘として生まれました。
北大路資武と離婚した後、九州の炭鉱王伊藤伝衛門と政略結婚、その美貌と才気と文筆により「筑紫の女王」と謳われましたが、真実の愛を求めて家出、社会運動家 宮崎竜介と結婚しました。
竜介の活動を助けながら歌集「踏絵」や「幻の華」などのほか、自伝小説「荊棘」をだしています。
作歌としては
踏絵(ふみえ)もて ためさるる日の来しごとも 歌反故(うたほご)いだき たてる火の前 おもいきや 月も流転(るてん)の 影ぞかし わがこしかたに 何をなげかむ が、よく白蓮の生涯を語っています。
「わたつ海の沖に火もゆる」は、不知火のことで、
旧暦7月末の夜に九州八代海で見える無数のかがり火から
転じて筑紫にかかる枕詞になっています。
火の国」は、筑紫の国のこと。
参考図書
日本名歌集成 學燈社
千里南公園 吹田市緑化公園事務所
施工(石匠) 下防 弘
4枚の写真は、2008/6/5に、挿入
いずれも、彦坂様より
歌碑の高さ
85cm
巾
60cm
採拓の寸法
85*60
和田津海の 沖に・・・
設置場所
□3のとこ
歌碑の高さ:85cm 巾:60cm
わだつみの おきに たぞや
和田津海の 沖に火もゆる 火の国に われあり 誰ぞや おもはれ人は 白蓮 (眞筆)
私は筑紫の国に悲しく住んでいるが、その私に思われて真実の愛を受ける人は誰であろうか
白蓮は明治十八年(1885)柳原前光の娘として生まれました。
北大路資武と離婚した後、九州の炭鉱王伊藤伝衛門と政略結婚、その美貌と才気と文筆により「筑紫の女王」と謳われましたが、真実の愛を求めて家出、社会運動家 宮崎竜介と結婚しました。
竜介の活動を助けながら歌集「踏絵」や「幻の華」などのほか、自伝小説「荊棘」をだしています。
作歌としては
踏絵(ふみえ)もて ためさるる日の来しごとも 歌反故(うたほご)いだき たてる火の前 おもいきや 月も流転(るてん)の 影ぞかし わがこしかたに 何をなげかむ が、よく白蓮の生涯を語っています。
「わたつ海の沖に火もゆる」は、不知火のことで、
旧暦7月末の夜に九州八代海で見える無数のかがり火から
転じて筑紫にかかる枕詞になっています。
火の国」は、筑紫の国のこと。
参考図書
日本名歌集成 學燈社
千里南公園 吹田市緑化公園事務所
施工(石匠) 下防 弘
4枚の写真は、2008/6/5に、挿入
いずれも、彦坂様より
歌碑の高さ
85cm
巾
60cm
採拓の寸法
85*60
和田津海の 沖に・・・
設置場所
□3のとこ
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