8/14 月 朝刊
休刊
8/14 月 夕刊
サンゴの海、異変 貨物船座礁しウッドチップ流出 進む白化、台風追い打ちの懸念
台風7号、あす上陸か 新幹線、名古屋―岡山で計画運休へ
ロシア、黒海で民間船に警告射撃
第105回全国高校野球・第9日
素粒子
昨年は安倍さんの式辞をコピペした菅さんの式辞を再コピペして読んだ岸田さん。今年は独自色を発揮する好機?
◎
あすの戦没者追悼式。「国債の流用や増税によって防衛費を増やし、敵基地を先んじて攻撃する能力を高め、国の未来を切り拓(ひら)いて参ります」と。
◎
定型の「御霊(みたま)に平安を」で締めくくられても、心穏やかに聞けぬ戦没者・遺族、数多く。
8/15 火 朝刊
(残響 78年後の「戦争」:4)抜け殻だった父、心の傷いま知った 戦場体験、子ども・孫も苦しむ
きょう終戦78年
台風7号、近畿・東海上陸恐れ 線状降水帯、警戒 関東から四国
第9日(14日)の結果 第105回全国高校野球
折々のことば:2821 鷲田清一
「自分が生まれた家に壊れているところがあれば、今その家で生きる自分が直すことが必要であろう」 (ウィリアムズ郁子さん)
(天声人語)きょう終戦の日
あれは小学5年生だったか。担任の栗原先生が一度だけ戦争の話をしてくれた。生まれ育ったサイパンに、9歳のとき米軍が上陸してきた。先生は、家族とジャングルの洞窟へ逃げ込んだ。飢えと渇きで眠れない。12日目だ。「ミソアリマス、デテコイ」。気がつくと、銃を構えた米兵たちが入り口にいた▼▼▼▼」▼那須さんは言う。「大切なのは、誰かに聞いた短い話でいいから自分の口で語ることです」。だから、先生から預かった話を皆さんにお渡しする。
8/15 火 夕刊
戦禍、世代超え思う 曽祖父が戦死、16歳「もっと知りたくなった」 78回目、終戦の日
戦後生まれ、初の40%超 式典参列予定者 78回目、終戦の日
台風7号上陸、交通乱れ 線状降水帯が発生
素粒子
あの日、台風が襲い各地に混乱が生じていたら、終戦の記憶と伝承もまた違うものになっていたのかもしれない。
◎
中村草田男は〈烈日の光と涙降りそゝぐ〉と詠み、山形で天皇の放送を聞いた宮脇俊三は、蝉時雨(せみしぐれ)の中、いつも通り走る汽車を見て、止まっていた時間が動き始めたと書いた。
◎
雨風の被害少なきことと、内外の平和祈る78年目の夏。
8/16 火 朝刊
78年、継ぐ平和の願い 追悼式参列、戦後生まれ4割超に
GDP年率6.0%増 個人消費は減、外需頼み 4~6月期
台風、近畿縦断 鳥取に一時大雨特別警報
折々のことば:2822 鷲田清一
人生というものはダラダラと始まり、そしてズルズルと終る。 (殿山泰司)
(天声人語)お盆を襲った台風7号
紀伊山地は急峻(きゅうしゅん)なことで知られる。だがその真ん中にある十津川郷では、かつてもっと谷が深かった。山肌をぬう道から石を落とすと、ドボンと川面が鳴るまでにたばこが一服できる。そんな笑い話があったそうだ。地形が一変したのは、1889年8月である▼▼▼▼のろのろ台風は1日かけて日本海へ抜けた。とはいえ、川は時間がたって増水することがある。まだ注意が必要だ▼日本では、年平均で三つの台風が上陸するという。今年の上陸は7号が初。無事だった地域も、今後の備えをしておくに越したことはあるまい。猛暑に台風に、と備えるべきことが少々ありすぎる気もするが。
8/16 火 夕刊
SDGsグラブ、2つの思いキャッチ 捨てる皮を生かす×親の金銭負担軽く なめし業者・メーカーら製作
バイデン氏、近くハワイ訪問へ 山火事
パラグアイ大統領「台湾は『兄弟』」
第105回全国高校野球・第10日
素粒子
SDGsグラブ、2つの思いキャッチ 捨てる皮を生かす×親の金銭負担軽く なめし業者・メーカーら製作
バイデン氏、近くハワイ訪問へ 山火事
パラグアイ大統領「台湾は『兄弟』」
第105回全国高校野球・第10日
素粒子
マイナ失政に妄言重ねる河野大臣が給与を返上。先日も保険証廃止は「法律で決まっている」、疑問を呈す医療関係者には「医者がどう思うかではない。やるべきことはやって」。相変わらずの唯我独尊。
◎
安倍派跡目争いが佳境。昔の四天王や七奉行に比べ「5人衆」とはいかにも軽いけど、仕切る森さんにすればみんな若い衆(しゅ)。五輪不祥事はひとごとで、相変わらずの能天気。
8/17木 朝刊。
(満州 アヘンでできた”理想郷”)傀儡国家、闇の資金源 皇后むしばんだ麻薬
日米韓、核不拡散明記へ 4段階で定期協議 首脳共同文書
40万人分、ひもづけ未了 マイナ保険証使えず 協会けんぽ
かつての首都が ハワイ山火事1週間
第10日(16日)の結果 第105回全国高校野球
折々のことば:2823 鷲田清一
憲法を変えるより、政治を変えるのが先です。
(白井明大〈あけひろ〉)
(天声人語)戦後はいつ始まったのか
戦後はいつ始まったのか。8月15日を境にして、というのがもちろん一つの答えであろう。皇居前広場で人々は涙を垂れ、家のランプから灯火管制の黒い布が取り去られる。戦時から戦後へ。死の恐怖から逃れ、暮らしも価値観も一新されたイメージだ。だが、ことがそう単純であるはずがない▼▼▼▼〈▼いわゆる「戦後」にも、多くの命が失われたことを忘れたくはない。白泉はこうも詠んでいる。〈玉音を理解せし者前に出よ〉。久米島の兵に聞かせたい一句である。
8/17 木 夕刊
選手村、物語をつなぐ街 2021年東京・1972年札幌・1998年長野
日米韓、ホットライン設置見通し
NY円下落、9カ月ぶり146円台
第105回全国高校野球・第11日
素粒子
8 原爆で焦土となった地に米国より早く在京ソ連大使館の諜報(ちょうほう)員2人が入った。1945年8月16日広島、17日長崎。
◎
〈いかに恐ろしくても通常の爆撃では人が生き残る確率はあった。だが広島ではまったく違う廃虚の光景だった〉
◎
1人はほどなく放射線障害で死去。命と引き換えで得た情報から、諜報畑出身のプーチン氏はいま何をくみ取る。
8/18 金 朝刊
社員の奨学金、会社が返還 人材確保へ利用増 制度2年、建設など1000社
差額ベッド料、地域で大差 東京平均1万9770円、秋田の5.6倍
森林環境税、見直し検討へ 森林面積少ない都市部にも多額配分 山間部に手厚く
第11日(17日)の結果 第105回全国高校野球
折々のことば:2824 鷲田清一
if not me, who, if not now, when.
(エマ・ワトソン)
(天声人語)岸田首相が買った本
夏休みの前には、気になっていた本を買いだめしたくなる。自宅でじっくりと。あるいは旅の友に。買った後を想像しながら選ぶのは、じつに楽しい。岸田文雄首相もそんな気分だったか。東京の書店で10冊ほど買ったという記事が先日あった。購入した一部が記されていた▼▼▼▼▼きのう首相は羽田空港を発って、米国へと向かった。日米韓の首脳会談で得点をかせぎ、政権の浮揚へつなげたいに違いない。往復には約27時間かかる。機内ではさて、何を読むのだろうか。
8/18 金 夕刊
夏駆ける球児、みんないい髪 髪形自由に「主体性育てる」 丸刈りこだわり「歴史残す」 高校野球
上関町長、調査受け入れ表明 核燃料、中間貯蔵施設
中国恒大、米で破産法適用を申請
防衛省・自衛隊、ハラスメント1325件
素粒子
「57年やってきた。2、3年延びたってどうということはない」。再審でも有罪主張を続けると検察が表明した時、袴田秀子さん(90)は毅然(きぜん)と。
◎
弟巌さんが一家4人殺害の疑いで静岡県警に逮捕されたのが、57年前のきょう18日。
◎
人間の強さ・明るさ、権力の横暴・冷酷、失われた歳月の重み……。これ以上の不正義許すまじ、との思い新たに。
◆8/19土 朝刊
中間貯蔵、調査受け入れ表明 上関町長、中国電に伝達
日米韓、緊急時の連携確認 北朝鮮・中国念頭に 首脳会談
中国恒大、米で破産申請 債務再編へ、差し押さえ回避図る
放出時期、22日にも決定 首相、漁業者へ処理水説明 21日で調整
折々のことば:2825 鷲田清一
「自分と親しい人だから共感する」から、もう一歩先に進みたい。
(安田菜津紀)
(天声人語)まるごと短歌
酒を愛した歌人、若山牧水には、もう一つ愛するものがあった。川の流れをさかのぼり、峠を越える。水源から、また新しく小さな瀬が生まれている。そういう光景に出会うと「胸の苦しくなるような歓(よろこ)びを覚える」と、『みなかみ紀行』に書いている▼▼▼▼紀行の旅で、牧水は歌の同人をみなかみに訪ねた。家には机もない。どこで歌をつくるのかと尋ねると「何処(どこ)という事もありません、山ででも野良ででも作ります」。文化の土壌が積もり続けてきた地なのだろう。短歌をつうじた街おこしという、新しい小さな瀬が生まれている。
8/19 土 夕刊
日米韓3首脳、年1回協議へ 会談で「新時代開く」
福島第一原発、首相あす訪問 処理水めぐり
第105回全国高校野球・第12日
素粒子
「歴史的」という日米韓会談のニュースの後、暑熱のなか日韓交流の歴史をひもとく。
◎
朝鮮通信使は対馬に渡り、周防上関などに寄りながら、大坂を経て江戸に向かった。
◎
歴史をつくったその対馬と上関で、いま対立と分断が深まる。都市に住み、原発の恩恵を受け、矛盾を押しつけてきた自身をかえりみ、エアコンの設定温度を少し上げる。
8/20 日 朝刊
日米韓、安保強化へ 首脳、毎年会談で合意
首相、きょう福島第一視察 処理水放出「対策を確認」
第12日(19日)の結果 第105回全国高校野球
折々のことば:2826 鷲田清一
ただやたらきれいがいいというよりも、普通にきれいならいいんですよ。
(菅木志雄〈きしお〉)
(天声人語)1965年のパラドックス
その「18歳の少女」は聴衆の心をわしづかみにしたらしい。1965年8月15日、東京で開かれた集会で泣きながらこう語った。私には何もわからない。でも、罪のない子どもたちが殺されるのが我慢できない。平和しか知らない現代っ子に、戦争のむごたらしさをもっと知らせてほしい▼▼▼▼▼毎年8月になると、聞いてみたかったと思う。あの日、同じ場所にいたまっすぐな若者のことを。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。