京タケノコと鍛冶文化
詳細情報
タイトル | 京タケノコと鍛冶文化 |
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著者 | 長岡京市教育委員会 編 |
著者標目 | 長岡京市教育委員会 |
シリーズ名 | 長岡京市文化財調査報告書 ; 第40冊 |
出版地(国名コード) | JP |
出版地 | 長岡京 |
出版社 | 長岡京市教育委員会 |
出版年 | 2000 |
大きさ、容量等 | 247p 図版8p ; 30cm |
JP番号 | 20081945 |
出版年月日等 | 2000.3 |
件名(キーワード) | 筍 |
件名(キーワード) | 鍛造 |
件名(キーワード) | 京都府--風俗・習慣 |
NDLC | DM553 |
NDC(9版) | 657.82 : 森林利用.林産物.木材学 |
対象利用者 | 一般 |
資料の種別 | 図書 |
資料の種別 | 政府刊行物 |
資料の種別 | 地方公共団体刊行物 |
言語(ISO639-2形式) | jpn : 日本語 |
京都新聞
名産タケノコおいしさの秘密 京都・西山 : 京都新聞
名産タケノコおいしさの秘密 京都・西山
京都市西京区から大山崎町にかけて続く西山は、豊かなモウソウチクの林が広がり、気象条件と土壌に恵まれる。モウソウチクが中国から初めて日本に移植された地ともされ、「京タケノコ」のふるさとといわれるゆえんだ。
■観賞用から食用に栽培
モウソウチクが乙訓地域に入ってきた時期については諸説ある。1200年代前半に禅僧の道元(1200~53年)が宋から帰国する際、寂照院(長岡京市奥海印寺)に持ち帰ったとされる説もあり、寺には「日本孟宗竹発祥之地」と刻まれた石碑が建つ。この説は全国にも広まっているようで、住職の佐藤俊順さん(81)は「最近は関東を中心に遠方から訪れる人が増えているんです」と話す。
同市農林振興課によると、伝来当初は観賞用として重宝され、食用として栽培されるようになったのは約300年前とみられる。その後、おいしさを追求しようと試行錯誤の末に編み出されたのが、現在の「京都式軟化栽培法」だ。
冬の間に、タケノコ畑一面にわらを敷き、その上に土を重ねる。布団のようにふかふかとした土で覆われることで、雨水がしっかりと浸透する。わらは土中に空気を送り込むだけでなく、腐ると肥料にもなる。タケノコ掘りが終わった後には親竹を選び、5月になると穂先を折る「しん止め」を行う。夏場には草引きや肥料やりも欠かせない。
今もほとんどが手作業で行われている。毎春、市内でタケノコ掘り体験を開いている長岡京市観光協会の五十棲忠男副会長は「竹やぶの作業は機械化しにくい。だから年を取ると体にこたえる」と明かす。
高齢化の影響で、市内のタケノコ農家は2000年の450戸から10年には386戸に減り、栽培面積も73ヘクタールから70ヘクタールに減少した。竹林全体の面積はほぼ横ばいで推移しており、放置された竹林の割合がじわじわと増えている格好だ。
放置竹林では、竹の根が周囲にどんどん進出し、生育する樹木の成長に害を与える。加えて、竹より背が低い多くの植物に日光が届かず、枯れる原因になる。里山の荒廃につながるほか、山の貯水能力低下を招くことから土砂災害の要因にもなり、全国的に問題となっている。対策が急務だ。
■専用農具はオーダーメード
タケノコの収穫に使う専用の農具「ホリ」の確保も難しくなりつつある。近年、ホリを作る鍛冶屋は後継者不足などで減少し、現在京都府内に数件しかない。
京都市伏見区の鍛冶屋「熊本鍛造」ではタケノコ収穫を控えたこの時期、3日で70本以上のホリが届き、修理などに追われている。
同社は約30年前に創業。当初は包丁などの刃物を作っていたが、15年ほど前、長岡京市内のタケノコ農家から依頼され、ホリの製造を手がけるようになった。
時期によってタケノコの深さが異なるため、多くの農家では1人3~5本くらいはホリを所有する。使う人の身長に応じて刃の長さを変える「オーダーメード」が信条で「昔からのやり方にこだわってホリを作ってます。仕上がりも持ちも違いますから」と話すのは社長で鍛冶職人の熊本昌史さん(48)。経営から製造、配達まで1人でこなす。
最近、うれしい協力者が現れた。放置竹林の手入れなどに取り組むボランティア団体に所属する佐々木幹夫さん(68)だ。以前は客として出入りしていたが、「若いのに一人で頑張っている姿を見て、少しでも力になりたいと思った」と週に2回ほど手伝っている。
熊本さんは「技術をものにするのに何年もかかるので、急にできる仕事ではない」と職人の減少を危惧(きぐ)しながら、「修理をしたホリを使ってもらえるのがうれしい。それを支えにやっている。将来は、若い子にも技術を教えていきたい」。表情は明るい。
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