積ん読
何でも知りたがり屋
辞書に久しぶり
はっきりと何文字言えるか
あとがき 229頁-「されどわれわれが日日-」>><<60頁-⑫キンドルストアへの期待-61頁柴田翔-「されどわれわれが日日-」・・・ドンドン吸い込まれ・・懐かしい名前が
◆柴田翔
東京府東京市足立区栗原町生まれ、板橋区出身。東京都板橋区常盤台に育つ。武蔵中学校・高等学校を経て東京大学に入学。工学部から文転して独文科を卒業し、1960年同大学院独文科修士課程修了、助手となる。同年同人誌『象』に発表した小説「ロクタル管の話」が『文學界』に転載され、芥川賞候補となる。1961年に修士論文を改稿した『親和力研究』でゲーテ賞を受賞、翌年ドイツ留学。
1964年『象』に発表した「されど われらが日々―」で第51回芥川賞を受賞。六全協に影響された学生群像を描いたこの青春小説は、累計186万部というベストセラーとなった。
以後も『贈る言葉』(1966年)、『鳥の影』(1971年)、『立ち盡す明日』(1971年)などを発表した。1966年に東京都立大学講師、1967年に助教授、1969年東京大学文学部助教授、のち教授、文学部長を務めた。
1970年から72年まで小田実、高橋和巳、真継伸彦、開高健とともに同人誌『人間として』を筑摩書房から刊行。「ノンちゃんの冒険」を連載するが、高橋がほどなく没し雑誌は休刊になり、同作品は1975年に残りを書き下ろして刊行された。以後、ほとんど小説を書かなくなる。
ドイツ文学者としては、『ゲーテ「ファウスト」を読む』や『内面世界に映る歴史』、ゲーテの『ファウスト』の翻訳がある。
1995年東大を定年退官し名誉教授、共立女子大学文芸学部教授、2006年定年退任。1981年前後に文學界新人賞選考委員、1999 - 2007年太宰治賞選考委員。
なお、「されど われらが日々」は学生運動を題材にした小説であるが、後の全共闘運動に対しては、次のように評している。
ゲバルトが出始めた時には、その意味が十分判っていなかったという気がする。僕がそのとき考えたことは、ゲバルトは国家の暴力装置に対抗するための対抗暴力として出てきたと理解した。僕はたとえ対抗暴力であってもゲバルトには反対だったけど、現象としてはそう理解していた。ところが大学の教師である自分の目の前で学生たちがゲバ棒を振りまわしているのを見ているうちに、そういう側面もあるけれどもそれはいってみればタテマエと判ってきた。そうではなくて、連中はゲバ棒を持ちたいから持っているんだ、ゲバ棒を振り廻すこと自体によろこびを感じているんだという気がした。これは良い悪いの問題以前に、まさに現実としてそうだということが見えてきた。ところが戦後日本近代、戦後民主主義が前提にしていた人間観の中には、それが含まれていなかった。人間は本来理性的動物であって、暴力衝動などは、その人間観の外へ追いやられていた。
— 「全共闘―それは何だったのか」現代の理論社:1984年刊:148頁)
◆武井 一己
長野県諏訪清陵高等学校卒業、明治大学政治経済学部卒業。大学在学中から週刊誌、月刊誌等にルポルタージュを発表。ビジネス、経済、先端技術分野の評論のほか、パソコン関連、インターネット関連の解説書を多数執筆。また雑誌等にエッセイ、コラムなどを多数発表している。
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