見に来て下さい!!
第1部 吹田市内の標高5mを歩く
第2部 吹田市議会報告会の記録
日時:10月11日(日) 10:00~12:00
開場:吹田市民公益活動センター6階「ラコルタ」 第2会議室
阪急 南千里駅下車改札を出てすぐ(左=西=へ役30m)
「千里ニュータウプラザ」6F
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平成27年10月2日(金) 入手
有志による吹田市議会報告会 13部
◆最近-参考-◆
1.安威川ダム
2.高台へまちの姿探る
平成27年10月4日(日) 朝日新聞 朝刊 33 扉 13版
3.京都大学防災研究所阿武隈山観測所http://www1.rcep.dpri.kyoto-u.ac.jp/observatories/ABU.html
http://www1.rcep.dpri.kyoto-u.ac.jp/observatories/ABU.html
阿武山観測所
Abuyama Observatory
阿武山観測所は,大阪府高槻市の北方,標高281mの阿武山山頂から南へのびる尾根の突端頂部,通称 美人山の山頂付近にあります。美人山の標高は218m,山麓を有馬-高槻断層帯に境され,隆起した北摂 山地の南端に位置し,天然の展望台となっています。塔の屋上はもちろん,本館の2階以上からも,大阪 平野を一望することができます。晴れた日には淡路島や関西国際空港までも遠望でき,夜となれば,眺望 は地の果てまで続くような無数の光の海に変わります。六甲山からの夜景は1000万ドルと良く言われます が,阿武山はそれ以上ではないかと思います。
眺望の良さは古代から有名だったようで,美人山の山頂には,阿武山古墳が存在します。この古墳は, 初代所長志田 順が,地震計用のトンネルを掘削しているとき(1934年)に偶然発見したもので,石室から は漆塗りの棺に横たわった貴人(のミイラ)が現れました。 志田は,埋葬物について,当時としては最新技術である X線写真を撮っていました。しかし,「不敬」にあたると してその存在は内密にされ,1982年に観測所の物置の奥 からX線写真が再発見されるまで歴史に埋もれていまし た。再発見されたX線写真の解析により,貴人が頭を横 たえていた枕はガラス玉を銀の糸でつないで錦でくるん だ「玉枕」であること,衣は金糸の刺繍があったことから, 貴人の身分の高さが想像され,藤原鎌足ではないかと言 われています。1983年,文化庁により阿武山古墳として 史跡指定されました。
阿武山観測所は,1927年の北丹後地震(マグニチュー ド7.3,犠牲者約3,000人)の発生後,地震の研究を進める ため,1930年に設立されました。原奨学金の援助を受け, 地元からは約3万坪におよぶ用地を300年間の契約で借 用させていただいています。建物は,斜面であることを 生かし,2階建ての西館と3階建ての本館・東館を上下 および左右にずらす変化を与えています。2007年(平成 19年)に大阪府の近代化遺産総合調査報告書において,注目すべき近代化遺産として取り上げられており, 建物を目的とする訪問者も多数います。上記の報告書によると,西館と本館をつなぐ玄関ホールは建築全 体の要で,吹き抜けの内部にある2列の太い丸柱の上部は逆円錐台形になっており,モダン化されたギリ シャ神殿の内部を見ているようだということです。
志田は,京都大学理学部の地球物理学講座の初代責任者でしたが,東京大学との違いを独自の観測に求 め,明治から昭和初期にかけて,上賀茂地学観測所,地球物理 学研究施設(別府),阿蘇火山研究所,阿武山観測所を次々と開 設し,地震学と測地学の観測と研究を積極的に展開しました。 これらの観測は,当時としては大変先進的なものであり,それ ら観測に基づき,地球潮汐における志田数,地震波初動の四象 限型押し引き分布,深発地震の存在など,1930年代としては極 めて先駆的な発見が行われました(注:論文としては,和達清夫の方が早く出版された)。
阿武山観測所では,開設と同時にウィーヘルト地震計(1ト ン)が設置され,その後も最新の地震計の導入や各種の地震計 の試作・改良が行われ,佐々式大震計などが追加されました。 世界で初めて地震波を電気変換して今日の高性能の地震観測 の先鞭を付けた,ガリチン地震計も設置されました。1960年代 からは,世界標準地震計網の一つとして,プレス-ユーイング 型長周期地震計による観測も開始され,地球物理学の発展に貢 献しました。広帯域・広ダイナミックレンジの観測体制 により,世界の第一級地震観測所として評価され,観測 結果は,1952年から1996年まで,Seismological Bulletin, ABUYAMAとして世界中の地震研究機関に配布されま した。長年続けられた地震観測により,1943年鳥取地震, 1944年東南海地震,1946年南海道地震,1948年福井地震 等の貴重な記録が得られ,地震現象の解明に大きく貢献 しました。なかでも,佐々式大震計による鳥取地震およ び福井地震の長周期(10秒から30秒)波形は,金森博雄博 士(カリフォルニア工科大学名誉教授,平成19年度京都賞受賞)の断層モデルによる解析(1972年)に使われ, 世界的に有名となりました。また,プレート境界地震の発生予測は,基本的には,アスペリティモデルと 呼ばれる,「同様の地震が同じ場所で繰り返す」というモデルに基づいて行われていますが,このモデルの 検証のためには,同じ場所で発生した大地震の波形の比較が極めて重要です。最近の例では,阿武山観測 所に保管されていた1933年,1936年,1937年の3発の宮城県沖地震の記録は,アスペリティモデルに基づ く2004年宮城県沖地震の中期的発生予測において重要な貢献を果たしました。
これらの歴史的な地震計たちは,現在はその役割を終えていますが,当時の姿そのままに,本館・東館 地下の観測室に展示されています。
地震予知研究計画発足前夜の1962年には,防災研究所に,「本邦地震活動度の地理的分布調査のための 観測事業」経費が交付され,阿武山観測所も分担して,観測網による微小地震観測が開始されました。そ の後, 1973年には,阿武山観測所に地震予知観測地域センターが併設され,1975年からは近畿北部に展開 した観測網の記録を定常的にオンラインで収録する微小地震観測システムが稼働し始め,リアルタイム自 動処理も行われました。国内はもとより世界で初めてのこの自動処理定常観測システムは,計算機による オンライン自動読み取り処理結果をグラフィックディスプレイでオペレーターがマニュアル修正するなど, 30年以上前としては大変先進的なものであり,データの質と量をそれ以前に比べて飛躍的に高めました。 その後,これらのシステムは全国的に普及し,現在の地震観測方式の基となっています。これらのデータ に基づき,計算機による微小地震の震源決定,微小地震の発震機構の解析,地震発生域の深さの変化と大 地震の断層との関係や,地震発生域の応力場と強度についてなどの先駆的な研究が行われました。このシ ステムは,1995年兵庫県南部地震以降,防災科学技術研究所のHinetのシステムに発展し,業務的な観測 として全国展開され,多数の世界的な成果を挙げています。
また,1971年には,敷地内に総延長250mを越える観測坑道が設置されるのに伴い,地殻変動連続観測 や地下水観測なども実施され,近畿地方における地震予知研究のための各種基礎的データが蓄積されてい ます。地震や地殻変動観測だけでなく,1918年に理学部で開始された高温高圧実験の装置は阿武山観測所 に移設されたうえ,科研費等により高圧装置等が次々に追加され,高温高圧下での岩石の変形・破壊実験 等も行われていました。
1990年,理学部および防災研究所に属する地震予知関 係部門が統合され,防災研究所附属地震予知研究セン ターが設立されました。1995年の地震予知研究センター 研究棟竣工に伴い,阿武山観測所の主な観測装置および 人員も宇治キャンパスに移転することになり,これから 近畿地方での本格的な地震観測が始まろうとしていた矢 先,それに先んじて,1995年1月,兵庫県南部地震が発 生しました。
残念ながら兵庫県南部地震の発生後でしたが,上記の 微小地震観測網のデータ等に基づいて,兵庫県南部地震 の発生過程に関する仮説が提唱されました。実は,内陸地震がなぜ起こるのかという問題は,当時はほと んど不明だったのですが,六甲断層帯や有馬-高槻断層帯の北側の地震発生層の下に,水平に近い断層が 存在し,それがゆっくりすべることにより,兵庫県南部地震の地震断層がすべりやすくなったという新し いアイデアが発表されました。この仮説は,その後,内陸地震研究において先導的な役割を果たし,近年 の内陸地震の発生メカニズムと発生予測の研究の進展に大きく貢献しています。
ここで,ようやく現在の話に入ります。現在,西南日本の内陸で地震活動が活発化していると言われて います。過去約1千年のデータによると,南海トラフの巨大地震の前50年後10年の期間には,それ以外の 期間に比べて,西南日本で被害地震の数が約4倍となっています。次の南海トラフの巨大地震は,今世紀 半ばまでに起こる確率が高いと言われていますので,近畿地方でも内陸大地震の活動期に入ったと考えら れます。さらに,最近,近畿地方中部,北摂・丹波山地を中心として微小地震活動の低下(静穏化)が見ら れています。2003年頃より,微小地震活動が約3割少なくなっている訳ですが,同様の静穏化は兵庫県南 部地震の前にも見られており,現在その推移を注意深く見ています。
しかしながら,既存の観測網の観測点間隔は数十km程度であり,それは内陸大地震の断層のサイズと 同程度となっています。そのため,上記の静穏化の意味することや,近畿地方の断層にどのようにひずみ が集中しているかなど,内陸大地震の発生予測に直接役立つ情報を得ることは難しくなっています。
幸いにして,平成18年度総長裁量経費(超多点フィールド計測システムの開発)をいただき,それをベー スとして,安価で取り扱いが容易でかつ高性能の地震観測システムを開発しました。これまでの装置と 違って,1万点規模の観測が可能なこ とから,「満点」地震観測システムと名 付けています。この装置を近畿地方等 に多数設置し,内陸大地震の発生予測 と被害軽減に貢献したいと考えていま す。有馬-高槻構造線近傍の北摂山地 にある阿武山観測所は,そのための重 要な前線基地となります。
以上のように,阿武山観測所は,発 足当時から地震の観測研究において世 界をリードしてきました。最近開発さ れた「満点」地震観測システムも,現時 点では世界最高のオフライン地震観測 システムであり,トップランナーとし て,これからも地震防災研究を支えて いきたいと考えています。
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