歴史街道 魅力再発見 西国街道 「西国街道の小野原街道を歩く」に、参加しました。
-吹田郷土史研究会・吹田市立博物館共催事業-
案内/吹田郷土史研究会 内山実嗣さん
コース/北千里駅~(バス移動)~小野原~(バス移動)~山田三つ辻~~山田市場
午前中は、晴天・・参加時(12時50分 阪急北千里駅)は、雨。
行きしな・・阪急吹田駅から北千里まで・・パチパチ・・車内・車窓より。
山田駅を超え 中国自動車道 東面

・・・藤白台 紅葉に・・・
ピアノ池
北千里駅 改札口前・・・参加者42名を待っているところ 12時45分頃
・・・・・・・・・・・・・雨の中を歩いた順に、動画・・・・・・・
案内/吹田郷土史研究会 内山実嗣さん
コース/北千里駅~(バス移動)~小野原~(バス移動)~山田三つ辻~~山田市場
・・・・・・・・・・・・・・・世間・・・・・・
1.西国街道
西国街道
神戸から西宮、北摂、乙訓地域を通って東寺口へ

2.勝尾寺
勝尾寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
勝尾寺 |
 本堂 |
所在地 |
大阪府箕面市粟生間谷2914-1 |
山号 |
応頂山 |
宗派 |
高野山真言宗 |
本尊 |
十一面千手観世音菩薩 |
創建年 |
(伝)神亀四年(727) |
開基 |
(伝)善仲、善算、開成(開山) 中興 頼朝 |
正式名 |
応頂山勝尾寺 |
別称 |
弥勒寺 |
札所等 |
法然上人二十五霊跡6番(二階堂) 西国三十三箇所23番 摂津国八十八箇所54番 神仏霊場巡拝の道 第65番 |
文化財 |
法華経 巻第四 木造薬師如来及び両脇侍像 |
表・話・編・歴 |
勝尾寺(かつおうじ)は、大阪府箕面市にある高野山真言宗の寺院。山号は応頂山。西国三十三箇所の第二十三番札所。開山は開成(かいじょう)、本尊は十一面千手観世音菩薩である。寺号は「かつおじ」「かちおじ」などとも読まれる。
歴史 [編集]
伝承によれば、勝尾寺の草創経緯は次のとおりである。神亀4年(727年)、 藤原致房の子の善仲、善算の兄弟はこの地に草庵を築き、仏道修行に励んでいた。それから約40年後の天平神護元年(765年)、光仁天皇の皇子(桓武天皇の異母兄)である開成が2人に師事して仏門に入った。宝亀8年(777年)、開成は念願であった大般若経600巻の書写を終え、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建した。そして、数年後の宝亀11年(780年)、妙観が本尊の十一面千手観世音菩薩立像を制作したと伝えられる。
開成の僧としての事績については正史に記載がなく不明な点も多いが、北摂地域の山間部には当寺以外にも高槻市の神峯山寺(かぶさんじ)など、開成の開基または中興とされる寺院が点在している。
勝尾寺は平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇など貴人の参詣も多かった。元慶4年(880年)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。『三代実録』は、元慶4年、清和天皇死去についての記事で、同天皇が「勝尾山」に参詣したことを述べており、これが勝尾寺の文献上の初見である。
元暦元年(1184年)、源平の一ノ谷の合戦のあおりで焼失。文治4年(1188年)、源頼朝の命により、熊谷次郎直実・梶原景時によって再建された。
承元4年(1210年)には晩年の、讃岐国流罪から戻った法然が当寺に滞在している。
伽藍 [編集]
文化財 [編集]
- 重要文化財
- 法華経 巻第四
- 木造薬師如来及び両脇侍像 - 平安時代初期
- 勝尾寺旧境内牓示八天石蔵(きゅうけいだいぼうじはってんいしぐら)出土品
- 史跡
- 勝尾寺旧境内牓示八天石蔵及び町石 - 八天石蔵とは、中世、勝尾寺が寺領を明示し、土地をめぐる争いを避けるため、寺の周囲8箇所に設置したもので、四天王・四明王の像を埋納していた。
- その他の文化財
- 木造千手観音立像 - 伝妙観作
- 勝尾寺文書 - 大阪府指定文化財
行事 [編集]
所在地 [編集]
位置情報 [編集]
北緯34度51分56.93秒東経135度29分27.95秒
交通アクセス [編集]
- 北大阪急行千里中央駅・阪急千里線北千里駅から阪急バス27番 余野行き(1往復 平日・土曜のみ)または54番 北摂霊園行き(平日3往復・土日祝6往復)利用「勝尾寺」停留所下車。ただし、正月三が日は勝尾寺周辺の道路が大変混雑するため、臨時の「勝尾寺口」で下車・約1.5kmを徒歩で向かわなければならない。
- 多客時には臨時増便されることもある。
- 阪急箕面線箕面駅から車で15分
- 大阪モノレール彩都線彩都西駅から車で10分
- 勝尾寺の公式サイトで「勝尾寺へは大阪市内から車で30分」と謳っているように、京都のような観光地と違い公共機関の利用を強く推していない。箕面市では主に箕面駅~箕面滝~勝尾寺の道路を交通規制しているために、豊能町や茨木市北部地域の生活道路である府道4号や43号では毎年秋と正月に渋滞が発する。
- なお、2007年5月30日に勝尾寺の付近を通る箕面グリーンロードが開通したが、トンネルで通り抜けるだけのため、勝尾寺付近には出入り口などはない
前後の札所 [編集]
- 西国三十三箇所
- 22 總持寺 -- 23 勝尾寺 -- 24 中山寺
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
3.春日神社

4.小野原街道
■二つの大きな旧街道をつなぐ
小野原街道は、大阪市内から北摂・丹波へ南北に貫く亀岡街道と京都から神戸まで続く西国街道をつないでいます。起点は吹田市山田市場(亀岡街道)で終点が箕面市小野原(西国街道)です。
市場池から三ツ辻交差点までは旧中央環状線の北側に沿う形で(というか、旧中環が沿わせた)通っています。道路の両側に一部を除き歩道が付いています。起伏はなく、路面状況もよくて、たいへん走りやすいです。 街道沿いには古くからの商店も散在し、史跡類もいくつかあります。最も有名なものは、山田中村の庄屋をしていた旧竹中家の馬上門でしょう。ちょうど屋敷のあったところにはマンションが建設されていますが、門だけはマンションへのアプローチ部分に残されています。現在でも住人がその門を通って出入りしています。当時の土壁や松林も残され、とてもいい雰囲気です。
ちょうど万博公園の南側一帯に当たる地域(旧山田村)には、近世の頃からの屋敷がたくさん残っています。ほとんど当時のまま残されているのではないかという景観に迷い込むと、思わずタイムスリップしたかのような錯覚すら起こしそうです。なんでも少し前まではこのあたりで時代劇の撮影も頻繁に行われていたとのこと。いかなる雰囲気か、それで察していただけるでしょう。
三ツ辻交差点からは北に転じます。基本的に上り基調となりますが、勾配そのものはたいしたことはありません。そこまでの住宅街とは異なり、万博公園の豊かな自然を見ながら走ります。大阪大学、金蘭短期大学を越えると、間もなく西国街道に行き当たります。
小野原街道沿い、もしくはこの周辺には買い物や食事によいお店がたくさんあります。オリエンテーリング気分でゆっくりとポタリングを愉しむことができるでしょう。
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大阪大学前南側(大阪府吹田市)
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旧竹中家馬上門(大阪府吹田市)
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ポイント
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コメント
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吹田市山田市場
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亀岡街道との接点。市場池公園があります。公園の南側の道が小野原街道です。 |
↓
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右手にイズミヤ千里丘店があります。魚屋と銀行の間の道を進みます。曲がりくねっていますが、道なりに行くこと。 |
山田南
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旧中央環状線と出会います。ちょうどファミリーマートがあります。 |
↓
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名神高速道路の高架をくぐると、すぐに三叉路があります。右へ行くと万博公園があります。街道は左を進みます。この三叉路で北西側に横断しておくのがよいです。 |
下山田
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自転車店・理髪店・飲食店(バロン)・ラーメン店を越えたところ、ちょうど阪急バスの停留所の前あたりに、北西方向に小さな道が分かれていきます(押しボタン式信号あり)。そちらに向かいます。 |
↓
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古い屋敷が点在しています。道幅は狭いです。道なりに進みます。 |
宮ノ前
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派出所があります。交差点を渡ると、左手には伊射奈岐神社があります。5本の道が交わっていますが、出てきた道とまっすぐつながる道へそのまま直進します。 |
↓
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旧街道らしい屋敷や商店がぽつぽつ見えます。西行きの一方通行です。 紫雲寺・旧竹中家馬上門などがあります。街道の北側一帯は古い屋敷がまとまって残っている旧山田村が広がっています。 |
三ツ辻
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再び旧中央環状線と出会います。この交差点で北方向に転じます。西へ進むと山田街道(旧中央環状線)に入り、豊中・伊丹方面に行くことができます。 |
↓
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中央環状線・中国縦貫自動車道のガードをくぐり抜けます。コーナンや大丸ピーコック、マクドナルドなどがあります。 |
山田北
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交差点では直進します。右手には万博公園があります。交差点北東角にはいくつかのレストランがあります。 |
↓
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道幅がやや狭くなります。消防署が見えたら、右折します。あとは道なりに進みます。緑が深いです。 |
大阪大学
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進行方向右手に薬学部・医学部・歯学部・工学部・留学生センターがあり、左手には水遠池があります。 |
↓
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水遠池の北側に西方向へ進む道があります。その方向に阪急北千里駅があります。 輪行ポイント:阪急千里線北千里駅
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金蘭短期大学
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左手にあり。上り基調。 |
↓
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関西スーパーなどがあります。 |
豊川南小学校
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右手に小学校。 |
↓
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もう一息。 |
箕面市小野原南
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ここで西国街道に接続します。そのまま北上すると、国道171号線に出ます。その交差点にはミスタードーナツがありますから、休憩にちょうどよいでしょう。 |
5.山田三ッ辻道標

○西山田地区文化祭(展示の部) 11月2(月),3日(祝)
第28回文化祭が2,3日と開催されました。二日とも例年にない寒い日でしたが、沢山の来館者で
賑わいました。自主グループ作品、主催講座作品、個人作品等沢山の出展や小・中学校の作品、
各種団体のパネル展示等所狭しと公民館一杯の展示でした。
特に今年は『西山田のいま・むかし』のメイン展示が人目を引いたようで、ヒメボタルの会のメンバー
の皆さんが説明に大わらわでした。
イベントも多彩で、ストリートオルガン演奏、あんさんぶる・まざあずのコーラス、茜会のカメの
マスコット作り、木工教室、バルーンアート、世界のお茶コーナーや喫茶コーナーと楽しんで
頂けましたか?
延べ700人以上の来館者でしたが、今年は新型インフルエンザのために、子ども達の来館が少なく
残念なことでした。
作品を出して頂いた皆様、お当番の皆様ご協力を頂きまして有難うございました。

○文化祭記念囲碁大会 11月8日(日)
文化祭の一環として、今年も囲碁大会を行いました。
吉岡敏明さんを審判に迎え、10時から段と級に分かれ一人四局ずつ戦います。38人の内3人の
女性の参加がありました。熱戦の結果、戦績は下記の通りです。
【段の部】 【級の部】
優勝 阪井 章さん 優勝 工藤 世将さん
準優勝 安河内 忠さん 準優勝 立川 紘実さん
第3位 内田 琢雄さん 第3位 新保 信夫さん
おめでとうございました!!

○井戸端倶楽部 11月5,12, 19, 26日(木)
5日は2,3日の文化祭が終わりいろいろとお話が弾んでいました。風邪でお休みされた方が、お二人
いらっしゃいました。
12日はふらっとサロンで行われるクリスマス会用の飾りのリングをいろがみで作りました。皆さん
楽しそうにおしゃべりをしながら、沢山作って下さいました。早速出来上がった作品をふらっとサロンに
届けました。
この日岡山より福祉関係の方が16人来られました。地域でふらっとサロンや井戸端倶楽部のような
サロンを作りたいとのことで、いろいろお話を聞かれ「頑張ってみます」と言って帰って行かれました。
19日は長坂孟重さんの自然教室でした。府営住宅と竹林の間のもみじ道を散策しました。紅葉の盛り
には、少し早かったようですが、綺麗な落ち葉や椎の実を拾いました。集会所に帰ってきてから、椎の実を
炒って、おやつに頂き自然の恵みに感謝です。
26日には来年の干支色紙作りをしました。少し難しそうでしたが、皆さん出来上がって持って帰られ
ました。宮田先生のご指導で、健康体操をしました。
○てくてく吹田めぐり 11月13日(金)
シリーズ6回目。今回は『吹田の街道を歩こう』ということで、昔の吹田の主な街道である亀岡街道
から小野原街道を歩きました。
午後1時30分にメロード吹田前に集合して、「吹田まち案内人」の案内で出発しました。
亀岡街道は、起点が大阪市内の高麗橋になりますが、「吹田の渡し」を通り吹田市内に通じています。
メロード吹田前から天道町を通り、吉志部神社の参道の入口「一石五輪塔」まで歩きました。それから
街道をはずれ吉志部神社を参拝し、七尾瓦窯跡を見学し、再び亀岡街道に戻り、その後市場池公園に
向かいました。市場池公園は亀岡街道と小野原街道の分岐点になります。
当日は午後から雨が心配されましたが、公園に到着する頃は陽が差し始め、絶好のてくてく日和と
なってきました。しばらく休憩して、さあ後半!伊射奈岐神社、圓照寺、石仏群を見学し、終点の
三ッ辻道標をめざしました。
昔の街道は信仰と深く結び付いていて、神社への参拝の道にも繋がっていたようです。約6キロの
長い道のりでしたが、皆さん元気に歩かれていました。歩いて行くことで普段見過ごしがちな道標や
石仏にも目をとめ、昔の人の気持ちに少し触れたような一日でした。案内下さった瓢風さん、
有難うございました。この講座は公民館企画委員の坂田修之さんの企画でした。

○西山田自然農園 11月7日(土)
稲刈りも終わり、秋の収穫も終わり、少し農園も寂しくなりました。
年越しの季節になりましたが、大根、そら豆、ほうれん草、キンカン、イチゴ等厳しい冬を乗り越え
順調に成長してほしいものです。
○英語に慣れましょう 11月28日(土)
今日はボディラングエッジ(ジェスチャー)を使って相手に伝える練習。国によって動作が
異なりますが、先生が準備されたコピーを見ながら、各々ジェスチャーをして表現し、何を表して
いるのかを当てます。教室は熱気と笑いに溢れました。
男性9人、女性14人の参加がありました。

○クラシックセミナー・CDコンサート 11月28日(土)
ーアルベニス 没後100年を記念してー
アルベニスは近代スペイン民族主義の確立者であり、幼少からピアノ演奏に卓越した才能を示し、
ピアニスト・作曲家として名を上げています。
今回は『ピアノ協奏曲 第1番 イ短調 作品78』と『ピアノ組曲 「イベリア」』を聴きました。
「イベリア」はアルベニス晩年の作であり、近代スペイン音楽の金字塔とよばれ後世に大きな
影響を残したと言われています。今回は高橋先生の趣向で原曲をギター、ピアノ、オーケストラと
聴き比べができ、まさにCDコンサートの醍醐味でした。高橋先生の解説も、相変わらず興味深く
楽しく、受講生の皆さんもきっと満足されたことでしょう。スペインの町を想像できるような
抒情的な曲想に酔いしれたひとときでした。
男性13人、女性7人の参加がありました。

○植村牧場と般若寺 11月29日(日)
人権啓発推進協議会 西山田地区委員会と公民館との共催行事でした。市の人権室から林本さん
谷井さんに同行頂きました。大型バスに40人が乗り込み、9時20分出発。近畿道から奈良に
向け走ること1時間あまり。目的地の植村牧場に到着。4代目の牧場主黒瀬礼子さんのお話を伺いました。
それに先立ち、今日搾り立てのビン入り牛乳を頂き、その新鮮さ濃さ美味しさに感心したものです。
植村牧場は創業明治16年という奈良でも一番ふるい牧場で、木造瓦葺きの牛舎を保ちながら、乳牛
30頭・ミニホース3頭を知的ハンディのある青年達を雇って運営されています。手作業で昔ながら
の牛乳作りをし、瓶詰めの牛乳を約1000軒の家庭に配達。真夜中の午前1時には配達を開始し
各家庭の出勤、通学前に配達を終えます。「地産地消」の意味からも地元の学校やお店やホテル等にも
牛乳の他乳製品も届け、その日搾った牛乳は、その日の内に使ってしまうことを心がけているそうです。
近所の農家から市場に出せない形の悪い野菜を譲り受け、そのお返しに乾燥させた牛糞を堆肥として
提供しています。以前人手不足の時に、支援学校を卒業した青年を雇ったことがきっかけで、現在は
男女14人が働き、内9人が住み込みで黒瀬さんと寝食を共にしています。
「個性の数だけ活躍の場がある。やさしさや気遣いなど、人間らしく生きることの大切さに気づかされた。
しんどいことも多いけれど、やって来てよかった。」と語る黒瀬さん。
「出来ることを出来る範囲で」がモットーだそうです。
昼食後般若寺へ。コスモス寺とも言われ、まだコスモスが残っていました。飛鳥時代に西大寺の
叡尊と忍性が医療施設を備えて、病人や貧困者の救済事業に力をそそぎ、「北山十八間戸」も
その名残です。
以前は植村牧場の敷地であった所を、先代が少年刑務所の場所として提供され、今では立派な赤煉瓦
作りの刑務所の外観も見せて頂きました。
心配された雨も降らず、車窓からの奈良公園や奈良ホテルの美しい紅葉、途中の山々の錦織りなす
紅葉を見つつ無事帰ってきました。

○文庫本カバーを作ろう 11月30日(月)
可愛い布を縫い合わせて文庫本カバーを作りました。
講師はいつもホームページの表紙を描いてくださる、臼井克江さんです。12人の参加がありました。
まず、飾りの1つである布テープにクロスステッチの刺繍をします。アルファベットや花模様の
見本をみて好きなデザインを刺していきました。クロスステッチが初めての方も多数いらっしゃいましたが
慣れてくると作業もスムーズにでき、刺して模様ができてくる楽しさも増してきたようです。
刺繍が終わると布を仕立てていきます。すでにカット済みの花柄、チェック柄の布を中表に縫い合わせ
途中で刺繍した布テープやしおりを挟み込んで、ひっくり返して出来上がり!可愛いブックカバーが
できました。
初めてクロスステッッチをされた方もなんとか時間内に終わられ、また次も何か作りたい・・・
という気持ちの方も多く、公民館自主グループとして発足して活動することになりました。
これからの活動がたのしみですね。

その他に日本語教室が有りました。
6.紫雲寺
紫雲寺の天井画 (山田東2-18-17)

紫雲寺本堂内陣の鳥獣を描いた天井画は、江戸時代末期の森狙仙の作で 府の重要有形文化財に指定されており、あまりにも有名。

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7.圓照寺
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第43番 |
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第28番 |
ロゴをクリックすれば 一覧表に戻ります |
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所在地:吹田市山田東3丁目 最寄駅:阪急千里線「山田」下車、バスでJR吹田OR茨木行きで 「山田宮の前」下車、北へ約500M |
当山は寺伝によれば、853年(仁寿3年)文徳天皇の勅願を受け、天台宗延暦寺座主の慈覚大師円仁が創建。 本尊の千手千眼観音像は円仁の自作と伝わる。同天皇は厄除開運を祈り、寺念仏の十一面観音を寄進し、陽成天皇は病気回復を祈り、日光・月光菩薩像を本尊の脇侍として、寄進安置したという。 また、894年(寛平6年)山城・醍醐寺の聖宝(理源大師)が宇多天皇の勅宣を受け、皇后の平癒祈願のため、当山に入った。 これ以後、当山は真言道場となり、室町中期ごろまでは栄えていたが、応仁の頃(1657~9年)細川氏家臣香西玄蕃が山田庄中村に一城を構え、寺領が没収され、応仁年中の兵火で焦土となったことに加え、庄内が浄土真宗化したことにより寺運は衰退した。 江戸時代始めの万治年間(1658~61年)山田別所村の領主板倉氏の援助で、覚祐が再興している。現在の堂宇は万博が開かれた1970年(昭和45年)に新築再建された。 |
[参考資料] 『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行 |
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万博会場に程近い集落の中に寺院はある。 かっての寺域は万博のメイン会場のシンボルである「太陽の塔」付近にあった本堂を中心に、4km四方に広がり10余の僧坊があったと伝わる。 |
本堂は1970年(昭和45年)に鉄筋コンクリート造りで 建てられた。本堂の両脇にある蘇鉄は檀家の人の寄贈によるとのことだが、樹齢100年は越えるものと思われる。 |
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本堂の裏山、奥の院に立つ鐘楼と准胝堂。准胝堂に安置されている「准胝観音菩薩立像」は平安前期の作とされ、陽成天皇寄進の「日光・月光菩薩像」と共に、大阪府の指定文化財である。 |
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摂津八十八ヶ所霊場 |
摂津三十三ヶ所霊場 |
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[2005年1月18日参拝] |
[2005年1月18日参拝] |
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8.山田市場道標
吹田市の古道・道標 道標一覧 |
マップ |
リンクを張りました。 |
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懸賞論文に投稿し 佳作を頂きました。最優秀作品にはなれませんでしたが、やりました! 私にとっては初めての受賞です。 この受賞で、多くの方が道標に関心を持ってもらえるので 私にとって大変有益な賞となりました。 これも、いろんな人のおかげだと思っています。有難うございました。 今後も郷土史、道標に関わって行きたいと思います。 吹田郷土史 論文募集
~加賀眞砂子文庫の創設を記念して~
吹田市域の郷土史に関する論文を募集します
すいたの街道を歩く
あらたな道しるべ発見
「江坂西西道標」
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吹田郷土史 論文募集
~加賀眞砂子文庫の創設を記念して~
吹田市域の郷土史に関する論文を募集します
すいたの街道を歩く
あらたな道しるべ発見
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旧下新田の道標=下の立石の考察 豊中市上新田村に「上の立石」があった。それに対応して、下新田村今の吹田市春日にあった「下の立石」です。しかしながら昭和39年当時すでに所在が判らないことで消滅した道標として扱われています。 この項 「野の仏」大阪読売新聞 昭和39年 吹田市の資料にもこれ以前の資料がなく。 下の立石については、記載事項、年代等もわかっていません。 吹田市立博物館に問い合わせましたが、先日(20日)連絡があり、 現在のところ上記のこと以外判っていないとの返事でした。 そのため「下の立石」と同一物である証拠とはなりませんが、 考察し、検証したいと思います。 御意見下さい。
「立石」といわれるのでそれなりに大きい物です。そのことが基準でなります。それにあたる物を見つけています。 江坂西西の道標がそれだと思います。
この道標は 下部欠損していますが、大きささ1メートル近くあったと思われる。 正面「右 かちをじ 三リ」 とあります。
勝尾寺から三里これを手がかりに考察します。 ①新家から勝尾寺まで36町=1里 ②すなわち、新家ですと2里となります。 ③立石と言われるので大きい物と考える。
この道標の持ち主に話を聞きましたが先代がどこかからか拾ってきた物ということです。嫁いで来た時はすでに家の庭に飾ってあった。家を改築したので、壁においてお参拝していた、 息子さんと話していたが、「これは観音様だが、下の文字が書かれているので道標だで」、それだったら、表に出すほうがいい、そこで近くの道標と一緒に置いてもらうことも考えられましたが、自分の土地に設置することになりました。設置の時、博物館の職員も立会い、倒れないように指導されたそうです。 それが、現在の位置で、現在も時々参拝されています。 希望としては、「道標は、元の位置に置くのが一番いい、私の代は守るが、その後はどうなるかわからないから、元の位置または博物館で預かって欲しい。」とのことで、その希望にそうよう検証を行なうことにしました。
さて、新家を中心に2里の地点を考えることになります。 ルートを考えるのですが、手っ取り早く三国街道を重点に考えるべきだと思います。 熊野田・山田も考える必要があります。 しかし、熊野田村には立石の情報はありません。熊野田の住民が立てた二本松の立石、赤坂の道標の資料には他の道標のことは記載がありませんし、村の古老が残した資料なかでは、服部神社の祭りには子どもたちは天竺川の堤防を歩いて行ったなど書かれているが、道標については記載がないので上の2基以外に道標はなかったのではないでしょうか!というのが熊野田村の今での結論です。 小野原街道では山田には情報がなく、勝尾寺から三里となると、亀岡街道との分岐市場より遠い距離になる。し、本体が、「右 かちをじ」と一方向の案内であるので、小野原街道から亀岡街道を通るルートは考えられない。 考えるには、勝尾寺参拝は一本道のルートに立っていたものと考えられる。そこで参拝者の多い大都会の大阪からの案内につかわれ、大阪からは北の方向にあり、一本道ではないでしょうか! 神崎川を「榎木の渡」か「小曽根の渡し」で来たものだと思われます。また、拾われた道筋、江坂の近所で勝尾寺街道となると、三国街道から勝尾寺街道となる。 また、現存しないが「上の立石」と字体と似ているように見受けられますが。
勝尾寺まで3里の地点は、三国街道をとると 「吹田市春日町」あたりにります。 江坂は2里半の距離になります。
「下の立石」を「江坂西西の道標」として考察しています。 |
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「上の立石」 「野の仏」より |
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江坂西西の道標 |
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記名 |
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現在 |
年代 |
西暦 |
施工 |
勝尾寺関係 |
1 |
済生会吹田病院東南角 |
すぐ 大阪 京 茨木 富田 勝尾寺 中山 |
旧吹田南町 |
南町道標 |
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勝尾寺 |
2 |
高浜神社東道標 |
茨木、富田、福井、山田、大阪道、勝尾寺、総持寺、帝釋天王、 |
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六地蔵 |
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山谷村道入 |
勝尾寺 |
3 |
天童道標
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さゐ寺くわんおん道 是より十五丁 |
片山町4-38 |
博物館 訂正 佐井寺 |
享保18年 |
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大坂住 |
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4 |
岸部小路道標 |
さい 是より 十二丁 |
岸部北2丁目6 |
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5 |
岸部神社鳥居前道標
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お産の神 吉志部神社 名所 鴨池 みや山つつじ 亀岡へ 九里、京都へ 九里、高槻へ 三里、茨木へ 五十丁、吹田へ 十五丁、大坂へ 三里 郊外別荘地 |
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大正十五年 |
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6 |
岸部神社鳥居前常夜灯 |
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寛延三年 |
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京都岸部屋藤右衛門 |
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7 |
市場池道標 |
吹田、大坂 亀岡街道 亀岡、高槻、京都 小野原街道 山田、小野原、勝尾寺 |
|
摂津市千里丘6丁目11 |
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勝尾寺 |
8 |
山田市場道標 |
いばらぎ、そうじじ、 かちを寺、やまだ |
|
白井氏宅 吹田市山田市場2-29 |
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|
蜂熊講中 |
勝尾寺 |
9 |
宇野辺南道標 |
高槻道 亀岡街道 |
|
茨木市宇野部2丁目 |
|
|
三宅村大字宇野邊 |
|
10 |
宇野辺北道標 |
たんば、妙見 山田 |
|
茨木市宇野部1丁目3 |
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忠□ |
|
11 |
榎坂東道標 |
勝尾寺 |
|
江坂町3丁目27 |
|
|
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勝尾寺 |
12 |
榎坂西道標 1 |
かち |
|
江坂町3丁目36 |
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|
勝尾寺 |
13 |
榎坂西道標 2 |
吹田 京 みのを、中山、はっとり、あま |
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14 |
榎坂西西道標 |
右 勝尾寺 |
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勝尾寺 |
15 |
山田三辻 |
左 上新田村 をか町 いたみ 右 をの原村 みのを かちを寺 いけだ 妙見山 中山寺 |
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山田 |
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勝尾寺 |
16 |
北の口 地蔵 |
左 片山ミち 右 勝尾寺ミち |
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南高浜2 |
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勝尾寺 |
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吹田の歴史学習資料集 1979年 |
2010/5/6 |
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17 |
訂正
山の谷愛宕神社境内 |
大正十四年二月建立 ーーーーーーーーー 山の谷 千里 市場ニ到る ーーーーーーーーー 山谷青年会 ーーーーーーーーー 不明 |
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大正十四年 |
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山谷青年会 |
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山の谷 |
右 すいた (北) 左 はら |
消滅 |
吹田市朝日が丘町 |
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18 |
藤が丘住友銀行社宅そばの道標 |
願主筑前国博多 六十六部善五郎 ーーーーーーーーー 文化十三年子 五月吉日 ーーーーーーーーー みぎ かちをじ道 |
箕面市に六十六部善五郎が立てた道標がある、
他所から移築された物 |
現在 竹原章三氏庭園 |
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19 |
要再調査 堅切山道標 |
資料で一度見ましたが再調査が必要です。 |
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現存しないその他の道標
昭和43年には 記載があるが内容等はわからない。 |
・山田白頭道標
・山田公石橋道標
・下新田道標 |
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・万博公園
・津雲台
・下新田 |
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1 |
済生会吹田病院東南角

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2 |
高浜神社東道標
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3 |
天童道標現在 佐井寺 未 確認
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4 |
岸部小路道標

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5 |
岸部神社鳥居前道標
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6 |
岸部神社鳥居前常夜灯 |
7 |
市場池道標
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山田市場道標 |
9 |
宇野辺南道標
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宇野辺北道標
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11 |
榎坂東道標
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榎坂西道標 1
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榎坂西道標 2
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15
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山田三辻

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16
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「北の口」にあった道標で 現在蓮光寺境内の梵鐘の横の祠に祭ってある。


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山の谷愛宕神社境内 2010/5/20 メールがありました。吹田市教育センター 文化財の調査研究を所管する吹田市立博物館 「すいた歴史散歩」66~67頁ですでに 訂正済みとのことです。 有難うございました。
今までの資料訂正 参道横に移築
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資料 |
2010/5/7調査 |
右 |
大正十四年二月建立 |
同 じ |
正面 |
山の谷 千里 市場ニ到る |
山の谷 右 ニ到ル 千里役場 |
左 |
山谷青年会 |
山谷青年會 |
裏 |
不明 |
記載なし |
29×21×86 (内 19.5×72) |
その時の様子
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江坂西西 =「下新田の道標」(下の立石)

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・・・・・・ますます、多くの事を学びました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・