No.15 張継詩碑 楓橋夜泊 月落烏啼
詩碑の高さ:125cm 巾:100cm
月落烏啼霜満天 江楓漁火対愁眠 故蘇城外寒山寺 夜半鐘聲至客船
月落ち 烏啼いて 霜天に満つ 江楓漁火 愁眠に対す つきおち からすないて しも てんにみつ こうふうぎょか しゅうみんにたいす
姑蘇城外の寒山寺 夜半の鍾聲 客船に至る こそじょうがいの かんざんじ やはんのしょうせい きゃくせんにいたる
月が沈み、烏がないて外気が冷たい。いさりびに浮き上がる紅葉が目に入り、 折りしも寒山寺の夜半の鐘が船中まで聞こえてくる。(愁いで眠られぬ)
寒山寺舊有文待詔書所唐張継楓橋夜泊詩
歳久漫?光緒丙午筱石中丞於寺中新葺数楹属余補書刻石 愈越
寒山寺には舊く文待詔の書す所の唐張継の楓橋夜泊の詩有り 歳久しくて漫?(しかん:傷んで不鮮明になる)せり 光緒丙午(清朝光緒32年:1906年) 筱石中丞(江蘇省の巡撫:総督)寺中において新たに数楹を葺し余に属して補書せしめ 石に刻す 愈越
詩碑は古くは文徴明(文待詔:1470-1559)の書で寒山寺にあったたが、人に長年触られて傷んで読めなくなったので光緒丙午(1906年)、江蘇州の総督が余(愈越)に命じて新たに書かせて、数基の詩碑を作らせた。 愈越:1821ー1906
張継:
生没年不明、南陽(河南省)の人で、天宝年間の進士(役人の位)、この詩のあとで合格。役人の試験に落ちて落胆して船旅に出て、寒山寺を過ぎた楓橋という船着場で詠んだ。
張継はこの詩で一躍有名になり、寒山寺も世の中に知られるようになりました。
参考図書
漢字・漢文名言辞典 東京書籍
漢詩の事典 大修館書店
http:石久鼎の「中国歴史紀行 26 蘇州寒山寺」 長船「ロングシップ」我流の漢詩30
詩碑の高さ:125cm 巾:100cm
月落烏啼霜満天 江楓漁火対愁眠 故蘇城外寒山寺 夜半鐘聲至客船
月落ち 烏啼いて 霜天に満つ 江楓漁火 愁眠に対す つきおち からすないて しも てんにみつ こうふうぎょか しゅうみんにたいす
姑蘇城外の寒山寺 夜半の鍾聲 客船に至る こそじょうがいの かんざんじ やはんのしょうせい きゃくせんにいたる
月が沈み、烏がないて外気が冷たい。いさりびに浮き上がる紅葉が目に入り、 折りしも寒山寺の夜半の鐘が船中まで聞こえてくる。(愁いで眠られぬ)
寒山寺舊有文待詔書所唐張継楓橋夜泊詩
歳久漫?光緒丙午筱石中丞於寺中新葺数楹属余補書刻石 愈越
寒山寺には舊く文待詔の書す所の唐張継の楓橋夜泊の詩有り 歳久しくて漫?(しかん:傷んで不鮮明になる)せり 光緒丙午(清朝光緒32年:1906年) 筱石中丞(江蘇省の巡撫:総督)寺中において新たに数楹を葺し余に属して補書せしめ 石に刻す 愈越
詩碑は古くは文徴明(文待詔:1470-1559)の書で寒山寺にあったたが、人に長年触られて傷んで読めなくなったので光緒丙午(1906年)、江蘇州の総督が余(愈越)に命じて新たに書かせて、数基の詩碑を作らせた。 愈越:1821ー1906
張継:
生没年不明、南陽(河南省)の人で、天宝年間の進士(役人の位)、この詩のあとで合格。役人の試験に落ちて落胆して船旅に出て、寒山寺を過ぎた楓橋という船着場で詠んだ。
張継はこの詩で一躍有名になり、寒山寺も世の中に知られるようになりました。
参考図書
漢字・漢文名言辞典 東京書籍
漢詩の事典 大修館書店
http:石久鼎の「中国歴史紀行 26 蘇州寒山寺」 長船「ロングシップ」我流の漢詩30
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