吉志部神社
西 社務所 東 本殿
本殿 東
本殿 ~ 南
火災の様子は、不明< 5/23>
本殿
2008年5月14日、10:41:00
北海道新聞より
■重文本殿を全焼 大阪の吉志部神社(05/23 10:33)
全焼した国の重要文化財の吉志部神社本殿=23日午前8時46分、大阪府吹田市で共同通信社ヘリから
23日午前4時15分ごろ、大阪府吹田市岸部北4丁目、吉志部神社(きしべじんじゃ)の本殿から火が出ているのを近所の人が見つけて119番した。
火は約30分後に消し止められたが、国の重要文化財に指定されている木造平屋の本殿を全焼した。けが人はなかった。
吹田署の調べでは、出火当時、本殿は無人だったとみられる。出火原因の特定を進める。
本殿は1993年に重文に指定された。
■吉志部神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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この項目は現在進行中の事象を扱っておりますが、ウィキペディアはニュース速報ではありません。性急な編集をせず事実を確認し、正確な記述を心がけてください。またウィキニュースへの投稿も検討してみてください。なお、この内容は不特定多数のボランティアにより自由に編集されていることを踏まえ、自身の安全利害に関わる情報は自己責任でご判断ください。
吉志部神社
拝殿
所在地 大阪府吹田市岸辺北四
主祭神 天照大神など
本殿の様式 七間社流造
例祭 秋祭り「どんじ祭」
表・話・編・歴
吉志部神社(きしべじんじゃ)は、大阪府吹田市にある神社である。JR岸辺駅から北に徒歩20分の紫金山公園内にある。本殿は、国の重要文化財だが、すべてを拝殿に覆われており見ることができない。
[編集] 祭神
天照大神、豊受大神 (中央座)
八幡大神、素盞嗚大神、稲荷大神(左座)
春日大神、住吉大神、蛭子大神(右座)
[編集] 歴史
創建時のことはほとんどわかっていない。社伝では、応神天皇の時代に大和国の瑞籬(しきみずがき)より奉遷して祀ったとされている。おそらくは平安時代にはあったと思われる。 応仁の乱以降の戦国の時に壊滅的に焼失したが、朝鮮から渡来してきた吉志一族の末裔によって江戸時代に再建された。平成5年に本殿が重要文化財に指定された。しかし2008年5月23日午前4時15分、本殿が火災で全焼してしまった。
西 社務所 東 本殿
本殿 東
本殿 ~ 南
火災の様子は、不明< 5/23>
本殿
2008年5月14日、10:41:00
北海道新聞より
■重文本殿を全焼 大阪の吉志部神社(05/23 10:33)
全焼した国の重要文化財の吉志部神社本殿=23日午前8時46分、大阪府吹田市で共同通信社ヘリから
23日午前4時15分ごろ、大阪府吹田市岸部北4丁目、吉志部神社(きしべじんじゃ)の本殿から火が出ているのを近所の人が見つけて119番した。
火は約30分後に消し止められたが、国の重要文化財に指定されている木造平屋の本殿を全焼した。けが人はなかった。
吹田署の調べでは、出火当時、本殿は無人だったとみられる。出火原因の特定を進める。
本殿は1993年に重文に指定された。
■吉志部神社
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吉志部神社
拝殿
所在地 大阪府吹田市岸辺北四
主祭神 天照大神など
本殿の様式 七間社流造
例祭 秋祭り「どんじ祭」
表・話・編・歴
吉志部神社(きしべじんじゃ)は、大阪府吹田市にある神社である。JR岸辺駅から北に徒歩20分の紫金山公園内にある。本殿は、国の重要文化財だが、すべてを拝殿に覆われており見ることができない。
[編集] 祭神
天照大神、豊受大神 (中央座)
八幡大神、素盞嗚大神、稲荷大神(左座)
春日大神、住吉大神、蛭子大神(右座)
[編集] 歴史
創建時のことはほとんどわかっていない。社伝では、応神天皇の時代に大和国の瑞籬(しきみずがき)より奉遷して祀ったとされている。おそらくは平安時代にはあったと思われる。 応仁の乱以降の戦国の時に壊滅的に焼失したが、朝鮮から渡来してきた吉志一族の末裔によって江戸時代に再建された。平成5年に本殿が重要文化財に指定された。しかし2008年5月23日午前4時15分、本殿が火災で全焼してしまった。
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