●新選 五体字鑑 鈴木 香雨 一日 2文字 / 一字10回ノート ぼけ紡糸
1.●新選 P-1 の 上 下
一字目○ 万
万 - ウィキペディア
二字目○ 三
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万
◆漢語林 鈴木 香雨 一日 五体字鑑の2文字の読破 ・・漢語林 熟語 @ 登録
2.◆漢語林 熟語
一字目◆万
①万里長城 北方の異民族 戦国時代 秦の始皇帝 河北省-山海関-~甘粛省
二字目◆三
①三易: 書いてあることを見やすく 文字を知りやすく 読みやすく
②三火:三の煩悩 むさぼる いかる 欲情
③三界:欲界 色界 無色界 過去 現在 未来 この世 世界
④三関:美濃の不破 越前の愛発/近江の逢坂 伊勢の鈴鹿
奥羽の三関 :白河 勿来(なこそ) 念珠ネズ
⑤三教指帰:さんごうしいき【三教指帰】
弘法大師空海の出家宣言の書。797年(延暦16)成立,ときに空海24歳。一説には18歳作,24歳再治ともいう。草稿本の《聾瞽(ろうこ)指帰》とは序文と末尾の十韻の詩を異にする。内容は序と上,中,下に分かれる。序は製作の意図,上巻は亀毛(きもう)先生論で,儒教の学者亀毛先生,実際には空海の叔父阿刀大足(あとのおおたり)をさすが,主人兎角公(とかくこう)の要請で,外甥の不良青年蛭牙(しつが)公子に忠孝の道を教誨し,中巻の虚亡隠士(きよぶいんし)論では,道教の仙術と理想をとく。
⑥三曲:
いつ頃から使われたかはっきりしないが、三種の楽器を合わせる意味においていくつかの用例がある。もともと地歌三味線、箏、胡弓は江戸時代初期から当道座に属する盲人音楽家の扱う楽器であり、彼らによってそれぞれの楽器による音楽である、地歌、箏曲、胡弓楽が順次成立した。これらの楽器や音楽を、同じく彼らの専門音楽であり、はるかに以前から行なわれて来た「平曲」 (平家琵琶の音楽) に対して区別するために「三曲」という言葉が使われ始めたのではないかと思われる。ただし江戸時代中期には箏、胡弓、尺八の合奏を「三曲」と呼んだ記録もあって、単に三種の楽器の組み合わせを漠然と「三曲」と呼んだ可能性もある (尺八は当道座の楽器ではない) 。「三曲」という言葉が文献に見えるのはこの頃からである。江戸時代初期には色々な楽器が合奏されていたようだが、まだ「三曲」と呼ばれた記録は見つかっていない。やがて芸術音楽として確立されるに従い、地歌、箏曲、胡弓楽は独自の楽曲を持つようになり、合奏されることのない、それぞれ独立した別個の音楽として成立した。しかし江戸中期頃からこれらの楽器は特に地歌を中心に合奏されるようになった。特に三曲の楽器三種をすべて合奏させることを三曲合わせ、三曲合奏と呼ぶ。「三曲」と「三曲合奏」の前後関係は不明。
尺八は当道座外の楽器であるが、古くから胡弓と交流があり、また江戸時代中期頃からしばしば三味線、箏との合奏に加わるようになり、明治以降本格的に参入した。従って三曲合奏には、ふつう三味線、箏、胡弓と三味線、箏、尺八という二通りの編成があるが、現在では後者の方がずっと一般的となっている。また明治以降胡弓を演奏出来る人が減ったため、「三曲」に胡弓を含めなかったり、無視する三曲人もいる。しかし胡弓は本来三曲の楽器であり、現在でも胡弓楽は伝承されているし、胡弓入り三曲合奏も引き続き行われているので、三曲から胡弓を除いたり過去のものにするのは不当である。
三味線、箏、胡弓の奏者は兼任が多いが、尺八はそれのみを専門とする演奏家が多い。三曲合奏は見た目も美しい為か、錦絵にもしばしば描かれており、その多くは胡弓入りである。
江戸時代中期以降、地歌、箏曲、胡弓楽はそれぞれ固有の曲も残しつつ、合奏のため同じ曲を共有する比率が高くなり、次第に一体化して、幕末までには不可分の状況になった。また尺八も明治以降、合奏に加わりレパートリーとして地歌曲、箏曲を演奏する比率が大きくなり、現代において作られる曲でも箏や地歌三味線との合奏が多く、独立した流派を持ちつつもやはり一体化している。そこで、これら地歌、箏曲、胡弓楽、尺八楽の四種の音楽を総称して「三曲」と呼び、他の邦楽種目、例えば長唄や義太夫節、清元、琵琶楽、能楽などと区別するために使われる。現代の三曲の奏者たちは、流派のほかに「三曲会」「三曲連盟」「三曲協会」などの音楽団体を結成している。
⑦三権:さん‐けん【三権】
〘名〙三種の国家統治権の総称。立法権・司法権・行政権。
「━分立(=三権それぞれを独立した機関に受けもたせることで相互の均衡を保とうとする政治原理)」
明鏡国語辞典 第二版 (C) Taishukan, 2011
⑧三元:さん げん[0]【三元】
(1)上元(正月15日)・中元(7月15日)・下元(10月15日)の総称。
(2)天・地・人の総称。
(3)正月元日。年・月・日の元 (はじめ)であるからいう。
(4)中国,明代,進士の試験の及第者の上位三人。
(5)中国,清代,郷試・会試・殿試の首席を独占し,解元・会元・状元となったもの。
(6)〘化〙 三つの元素。「―合金」
⑨三国誌:三国志(さんごくし)は、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)の興亡史である。
⑩三国誌演義:
⑪三神神器:
三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのしんき(じんぎ、しんぎ))は、日本神話において、天孫降臨の時に、瓊瓊杵尊が天照大神から授けられたという鏡・玉・剣のこと。また、神話に登場した神器と同一とされる、あるいはそれになぞらえられる、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物のこと。
三種の宝物とは、八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣(草薙剣)を指す。皇族はもとより天皇でさえもその実見はなされておらず、多くの面が謎に包まれている。
⑫三十六計:
成立時期は不明であるが、大体5世紀までの故事を17世紀明末清初の時代に纏められた物だと言われている。1941年、邠州(現・陝西省邠県)において再発見され、時流に乗って大量に出版された。様々な時代の故事・教訓がちりばめられ、中国では兵法書として世界的に有名な『孫子』よりも民間において流通し、日常生活でも幅広く流用されている。
荒削りな部分が見られ、戦術とは呼べないようなものが含まれていることがある。また、権威付けのために『易経』からの引用を使って解説しているが、どれも名文とは言い難い。六計六組の配列も入れ替えたほうが良い部分があるとも指摘され、このようなことが三十六計が歴史の中に埋もれてしまった理由だと思われる。
なお、魏晋南北朝時代の宋の将軍檀道済は、「三十六策、走るが是れ上計なり」(『南斉書』王敬則伝)という故事で知られるが、檀道済の三十六策の具体的な内容は不明であり、『兵法三十六計』と直接の関わりはない。
⑬三到:
- 読書三到 意味
宋の朱熹しゅきの唱えた、読書に大切な三つの心得。目でよく見ること(眼到)、声を出して読むこと(口到)、心を集中して読むこと(心到)の三つ。
⑭三民主義:
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