◆11/2 土 朝刊
フリーランス、守られる一歩に 新法施行、買いたたき・不当な報酬減額など禁止
(朝日・東大谷口研究室共同調査)規正法「不十分」、当選者75% 自民も45%、再改正は 政治とカネ
(政界変動)政治改革、立・国が連携確認 5日に党首会談で協議へ
日常、まだ遠く 能登半島地震10カ月
折々のことば:3252 鷲田清一
意見を提示したり受け容(い)れる順序は、意見の正しさを示す基準ではありません
(ジョン・ロック)
(天声人語)北朝鮮の新型ミサイル発射
ハトを訓練してミサイルを誘導させる。今年のイグ・ノーベル平和賞は、そんな奇妙な実験をした米国の著名な心理学者、故バラス・スキナー博士に贈られた。対象となったのは1960年の論文だ▼▼▼▼▼スキナー博士の研究のキーワードは学習だった。核開発の姿勢を改めることこそが、国際社会からの孤立や国民の困窮などを解消する唯一の道である。「最高指導者」になんとか学習させるすべはないものか。
(しつもん!ドラえもん:5248)かいしゃ編
★ 1億円(おくえん)以上(いじょう)の報酬(ほうしゅう)をもらう役員(やくいん)の数(かず)は増(ふ)えている? それとも減(へ)っている?
★こたえ
増(ふ)えている
日本(にほん)は欧米(おうべい)と比(くら)べて役員(やくいん)の報酬(ほうしゅう)が少(すく)ないとされてきたんだ。最近(さいきん)は、自分(じぶん)の会社(かいしゃ)の株式(かぶしき)をもらったり、仕事(しごと)の成果(せいか)に連動(れんどう)した報酬(ほうしゅう)が増(ふ)えたりしているよ。
◆11/2 土 be 朝刊
(フロントランナー)歌人・木下龍也さん 驚くような短歌が読みたい
台所は・・・
◆11/2 土 夕刊
戦時下のラーメン、極める「日本の味」 ウクライナの人々、守りたい「普通の日常」
(Photo Story)放置竹林、丸く解決
素粒子
石破首相きのう就任1カ月。「息つくひまもなかった」と感慨深げ。そりゃそうだ。首の皮一枚なんだから。最短記録54日超えに向け、延命策に汲々(きゅうきゅう)と。
◇
能登地震きのう発災10カ月。三歩進んで二歩下がり「豪雨で振り出しに戻った」と珠洲の知人。土砂に埋まった集落。水道も復旧しないまま冬が近づく。
◇
昨晩知人は言った。永田町と能登はパラレルワールドだね。
◆ 耕論)ハリス氏と「ガラスの天井」 島村紀代美さん、渡辺靖さん、長野智子さん
■アメリカ大統領選2024
米大統領選まであと3日。勝敗はともかく、女性で、黒人で、アジア系のカマラ・ハリス氏が大統領候補となったインパクトは大きい。「ガラスの天井」をどう打ち破るのかを考える。
■「女性」強調せず、政策勝負 島村紀代美さん(愛知県日進市議)
ハリスさんが大統領になるかどうか、大きな関心を持って眺めています。自分自身の経験がどうしても重なって見えますね。
私は2019年に愛知県日進市の市長選に立候補しました。市議経験者どうしの一騎打ちとなり、私は118票差で負けたんです。
選挙運動中の有権者の反応はとても良く、勝ったと思っていました。敗れたことを知って真っ先に頭をよぎったのは、自分の力不足だったということです。女だから負けたとは思いませんでした。
でも少し時間を置いてみると、やっぱり女性が市長になるのは難しいんだなという思いもわき上がってきました。
女性だからという理由で選挙戦中にネガティブなことを直接言われたことはまったくなかったんです。でも後になって「議員なら女性でもいいけど、市長はダメだ」という声もあったことを人づてに聞きました。
そのあたりの有権者の真意はなかなか見えづらいものです。「ガラスの天井」たるゆえんでしょうか。
ただ、候補者としては複雑な思いがあります。ハリスさんは選挙戦で自分が女性であることをあまり強調していない、という報道を見ました。私も全く同じだったんですよ。
女だから勝ったと思われたくないし、女であることを武器にしているとも言われたくない。女だろうが男だろうが大事なのは政策の中身です。男性で弱い立場の方もいる。女性であることを強調する選挙はやめようと思っていました。
実際のところ、私に投票した方のなかには、私が訴えている政策のことはよく知らないけれど女性だから投票したという人もいるでしょう。もちろんありがたいのですが、候補者としては本意ではないという気持ちもあるんです。
女だから118票足りなかったのか、女だから118票差で済んだのか。教育や福祉を重視して市民が主役のまちをつくりたい私の政策が届かなかったのか、単に私という人間が市長にふさわしくなかったのか。今も真相はわかりません。
でも当時から変わらず強く思うのは、議員と市長では雲泥の差があるということです。提案なら市議にもできますが、これをやると決めて予算をつけられるのは市長だけです。決められるポジションにつかないと世の中は変えられません。
米国で女性が最大の決められる立場につくのをぜひ見てみたい。結果が楽しみです。(聞き手・田玉恵美)
*
しまむらきよみ 1962年生まれ。小学校教諭などを経て44歳で市議にトップ当選。市長選には市民派・無党派の立場で立候補した。昨年再び市議に。
■変わる米社会、なお障壁も 渡辺靖さん(慶応大学教授)
どちらの候補が当選するかは別にして、カマラ・ハリスさんという、黒人であり、インド系でもある女性が民主党の候補として米大統領選挙を戦っていることに注目しています。選挙を通して社会の変化を読むことができるからです。
アメリカ社会は女性の大統領を迎える準備ができているのでしょうか。ヒラリー・クリントンさんが大統領選挙に敗れてからこの8年で、さらに女性の社会進出は進んでいます。
たとえば、アイビーリーグと呼ばれる米国の東部にある名門大学8校のうち昨年は6校で女性が学長を務めていました。
「ガラスの天井」といわれますが、米国の女性が参政権を勝ち取ったのは、1920年に合衆国憲法修正19条が発効した際です。しかし、それは白人女性が投票する権利でした。65年の投票権法の成立で全米で人種を問わず投票ができるようになり、法的な障壁が消えました。差別や嫌がらせなどは残っていますが、大枠の制度は整っています。
それに基づいて女性の進出が続き、欧州より少ないと批判されてきた連邦議員に占める女性の割合も28%と史上最高となりました。今回の衆院選で最高を記録した日本よりも多いです。
女性大統領を受け入れる土壌は米国社会に整っていると私は思います。しかし、まだ完全に社会的な障壁が打ち破られているとはいえません。
たとえば、白人の男性であれば無縁なまなざしが向けられることがあります。2020年にハリスさんが副大統領候補に指名されたときも、「実力ではなく、女性で黒人だからだ」といった見方がありました。多様性や変化を印象づけるために登用されたのだという説明です。外見や服装、髪形、笑い方や話し方などが取りあげられるのも、ジェンダーや人種に根ざす差別的なものを感じることがあります。
また、女性の政治家に対しては男性に対するよりも、より高い倫理性が求められることも続いています。女性が指導者になろうとする時、安全保障や外交などでより力強い姿勢を強調することがあります。
アメリカの大統領は、世界で最強とされる軍の最高司令官でもあります。ミシェル・フロノイさんを女性初の国防長官に起用するといった可能性もささやかれていますが、大統領と国防長官が両方とも女性になることをアメリカの民意が受け入れるかも問われます。(聞き手・池田伸壹)
*
わたなべやすし 1967年生まれ。文化人類学者。現代の米国社会に詳しい。著書に「アフター・アメリカ」「白人ナショナリズム」など。
■副大統領抜擢あればこそ 長野智子さん(キャスター・ジャーナリスト)
副大統領時代のハリスさんについては、ニューヨークにいる友人たちからも悪評しか聞こえてきませんでした。それが今、予想以上の人気を集めているのは、民主党がうまく流れをつくったからでしょう。
バイデン大統領では勝てないとみんな薄々思いつつも、引きずり下ろしはしなかった。大統領が自ら身をひき、ハリスさんを後継指名する形をとったことで、最上の「刷新感」を演出することに成功しました。
ただこれは、ハリスさんが副大統領というポジションにいたからこそ生まれた展開です。もしハリスさんが副大統領でなかったら……民主党の大統領候補は女性だったかも、黒人だったかも、アジア系だったかもしれないけれど、すべてあわせもつ人が選ばれることはなかったのでは。ハリスさんを副大統領に抜擢(ばってき)したことからすべてが始まっている。バイデンさんの偉業だと言っていい。
私は8年前の大統領選を現地で取材し、ヒラリー・クリントンさんを追いかけました。やはり彼女は「特別」です。クリントン家がバックにあり、8年間ファーストレディーを務めてものすごく人気があった。
そんなヒラリーさんとハリスさんは、同じ女性でも全く違う。ヒラリーさんは「初の女性大統領」を前面に打ち出しましたが、ハリスさんはそうはせず、強調するのは「中産階級出身」。正しい戦略だと思います。8年前と比べて、世論は格段に成熟していますから。「女性だからダメ」という批判はほとんど聞こえてこず、「ハリスだからダメ」に変わってきています。
「特別」なヒラリーさんではなく、歯を見せて笑い、「brat(悪ガキ)」とあだ名されて親しまれる、マイノリティー出身のハリスさんが「ガラスの天井」を打ち破ることができれば、その意味はたぶん何倍も大きい。政治家としての力量にはかなり不安を覚えつつも、やはり期待してしまいます。
翻って日本に目を向ければ、石破茂内閣の女性閣僚はたったの2人。「これは」という女性を官房長官や党幹事長などの要職につけ、経験を積ませるべきです。
結局女性は、偉い男性に引き立てられないと出世できないのか?という皮相な見方もあるかもしれませんが、現状、意思決定層に男性しかいないのだから仕方がない。とにかく意思決定層に女性を増やす。そこからしか始まりません。(聞き手 編集委員・高橋純子)
*
ながのともこ 1962年生まれ。アナウンサーとしてフジテレビに入社後、フリーに。著書に「データが導く 『失われた時代』からの脱出」など。
◆(著者に会いたい)『Dr.カキゾエ 歩く処方箋』 垣添忠生さん
■震災とがんの共通項は 日本対がん協会会長・垣添忠生さん
医師、患者、遺族としてがんと向き合った半生を踏まえて、昨年3~6月に約1千キロの自然歩道に挑んだ。
選んだのは、東日本大震災で被災した沿岸を南北に走る「みちのく潮風トレイル」。がん治療を続ける人や克服した人、患者を支える家族らを励まし、理解を呼びかけようと、「がんサバイバーを支援しよう」「3・11を忘れない」と入った黄緑色ののぼりを手に、4回に分けて踏破した。
「津波で足をすくわれた人と、がんに突然見舞われた人は理不尽な思いをしたという意味で同じじゃないか」。だから、被災地に足が向いた。
1日の行程を終えて宿に着くと、その日の行動と、出会った人との会話をメモ帳に書き留めた。防潮堤の高さに地域差がある理由、町から海が見えることの意味は――。歩きながら考えたことを東京に戻って書き加え、旅の記録とともにまとめたのがこの本だ。「すさまじい大災害が忘却のうちに埋もれていく。でも、住んでいる人たちには深い傷痕が残っているはず。書きたいと思ったんです」
泌尿器科医としてがん医療や研究に最前線で携わってきた。自身も50代で大腸がん、60代で腎臓がんを経験。妻はわずか4ミリで見つかった小細胞肺がんが広がり、17年前、闘病の末に亡くなった。「ピンポン球を打ち合う感じで語り合った相手がいなくなり、3カ月は酒浸りで泣き続けて。今もつらいですよ」。検診での早期発見や治療と並んで、がんと向き合う患者や家族を支えることが重要だと痛感する転機になった。
妻の死後、毎朝つま先立ちとかかと立ちを100回ずつ続けている。段ボールに新聞紙を詰めて高さ32センチの踏み台を作り、上り下りを繰り返した。家の中で転ばないためだったが、これが長距離踏破を支える脚力にもなった。
「足腰の衰えはあるけど、また歩きたい気分も出てきた。歩けば思考能力も高まる。がんが世の中から消えることはない。早期発見して治療すれば死ななくても済むのですから」。83歳を迎えた今も、思いは消えていない。
(朝日新聞出版・1980円)
(文・伊藤宏樹 写真・友永翔大)
*
『Dr.カキゾエ 歩く処方箋(しょほうせん)』
◆本格的な冬を前に、金沢市の兼六園で1日、「雪吊(つ)り」が始まった。雪の重みから園内の枝を守るための冬支度。同市の最高気温は22.8度で、金沢地方気象台によると平年よりかなり高かった。季節外れの暖かな日差しの中、庭師らが作業を進めた。初日は、園を代表する「唐崎松(からさきのまつ)」から作業が始まった。作業は12月中旬まで続く。(金居達朗)
◆(ののちゃんのDO科学)なぜ高い所は気温が低いの?
高いところにいくと気温が低くなる<グラフィック・朝岡遊>
千葉県・佐藤涼太(さとうりょうた)さん(中2)からの質問
■太陽は地面を暖める、空気の体積がカギ
ののちゃん 山登りして、頂上に着いたら寒かった。太陽に近づいて暑いかと思ったのに、どうして?
藤原先生 頂上の高さはどのくらい? 1千メートルだとしたら1キロ。太陽と地球との距離は約1億5千万キロあって、1キロでも1億5千万分の1。太陽までの距離を考えると、ほとんど近づいていない。
のの それなら、気温も変わらないはずじゃないの?
先生 そんなに結論を急がないで。これはむずかしい質問なので、順に説明するよ。まず太陽が空気を暖める仕組みから。太陽の光の多くは空気を素通りして地面に届いて地面を暖める。暖まった地面は赤外線という見えない光を出して、空気を暖めるの。暖まった空気がさらに上の空気を暖めて、だんだん熱が上のほうに伝わっていく。
のの 太陽が直接、空気を暖めているわけではなかったんだ。
先生 そう。では次に、高いところにいくほど気温が下がるのはなぜかというと、高い山に登ると気圧が低くなるって聞いたことない?
のの 気圧?
先生 簡単に言うと、空気が押す力。山にもっていったお菓子の袋がふくらんでいるのを見たことない?袋の中の空気を外から押す力が弱くなって、空気の体積が増えたってわけ。気圧は高度15キロで地上の約10分の1になるらしい。
のの それと気温がどう関係するの?
先生 空気の体積が増えるときに熱エネルギーを使うので、気温が低くなると考えられるよ。
のの どのくらい気温が下がるのかな。
先生 100メートル上がるごとにおおよそ0・6度ぐらい下がる。1千メートルの山なら6度も低くなる。夏に山に行くと気持ちがいいってこと。
のの もっと高いところでも気温はどんどん下がるの?
先生 季節や場所によっても変わるけど、高くなると気温が下がるのは10~16キロくらいまで。地上からそのくらいまでを対流圏と呼ぶの。下にある空気のほうが温度が高いと、空気が上昇して対流が活発に起こる。
のの そうか、だから対流圏。
先生 対流圏より高くなると、気温が低くなる率が小さくなったり、むしろ上がったりする。対流は起こりにくくなって成層圏と呼ばれている。
のの どうして成層圏では高くなると温度が上がるの?
先生 成層圏にはオゾンと呼ばれる気体があり、オゾンは紫外線を吸収して、熱を出す反応をするので、気温が上がる。紫外線は生物にとって有害なので、上空にオゾンがあることはとても重要だよ。
(取材協力=大阪管区気象台気象防災部の津島俊介さん、構成=瀬川茂子)
◆ はじまりを歩く)米づくり 静岡市、佐賀県唐津市、福岡市 登呂遺跡から、戦後復興の礎
市街地の一角に広がる弥生集落は、まるで都市のオアシス。秋の晴れた日、登呂遺跡の水田では市民による収穫イベントが開かれていた=静岡市駿河区
ほっかほかの湯気の向こうに、真っ白な炊きたてのご飯。米はずっと日本人とともにある食卓の主役だが、実はもともと日本列島にはなかった外来種だ。いったい誰が、いつ持ち込んだのか。米づくりのルーツとゆかりの地を訪ねました。
天高く、実りの秋。こうべを垂れた無数の稲穂が田んぼを黄金色に染め上げる。今年も豊作、きょうはムラ総出で稲刈りだ。さあ、みんなで作業に励もう。終わったら、ごちそうも待っている――。
日本の原風景といえばこんな刈り入れ時の光景、あるいは青々と水をたたえた初夏の田んぼを思い浮かべるのでは? はるか弥生時代からおなじみの景観だったようで、教科書でもそんなイラストを見た気がする。
このイメージの定着にひと役買ったのが静岡市の登呂遺跡だ。水田跡と住居跡がセットになった、国内を代表する弥生集落跡である。
水田の向こうに、復元された竪穴住居や高床倉庫が並んでいる。ゆったりと流れる時間が心地よく、つい、のんびりと寝転びたくなる。お隣には市立登呂博物館。「弥生時代が稲作の時代であることを証明したのが、ここなのです」。岡村渉館長は胸を張った。
いまでこそ特別史跡の有名遺跡ながら、登呂もまた過酷な時代の波をくぐり抜けてきた。
戦局に厳しさが増しつつあった1943年、軍需工場の建設予定地で土器や木片が見つかる。東京大や明治大、国学院大などの考古学者が現地を訪れて発掘を要望したが、世相は十分な調査を許さなかった。
*
終戦間もない47年、改めて本格発掘が始まる。全国の研究者が結集し、大学生や旧制中学の生徒も参加。地域住民は食べ物の差し入れや洗濯のお手伝いなど地元総出で調査を支えた。
日々の食いぶちにもこと欠くなかでの発掘ながら、「ここに自分たちと同じ米づくりをしていた人々がいた。その検証に参加して、誰もが歴史を身近に感じたことでしょう」と岡村さんはいう。
自分たちのルーツはどこにあるのか。皇国史観や神話のくびきから解き放たれ、人々の知的な渇望を受け止めたのが登呂遺跡であり、それは戦後の文化復興のはじまりを告げるのろしともなった。博物館内に展示された写真や新聞記事からは当時の高揚が伝わってくるようだ。
多くの研究者が手弁当ではせ参じた調査は戦後の考古学界発展の礎となり、全国組織の日本考古学協会設立への機運を高めるきっかけともなった。「登呂なくして今の協会はなかったかもしれませんね」と会長の石川日出志・明治大教授は笑う。
登呂発掘は戦後の日本考古学の「はじまり」でもあったのだ。
■九州に伝わり、弥生の幕開け
「瑞穂(みずほ)の国」とは、いにしえからの日本の美称で、みずみずしく稲穂が実る国のこと。「日本の心」をはぐくんだ米づくりだが、もとはといえば狩猟採集の縄文社会に海のかなたからもたらされた外来の生産技術だ。朝鮮半島と指呼の間にある北部九州が最初の上陸地らしい。
その伝来時期は紀元前500年ごろともいわれてきたが、近年は新たな年代測定で紀元前8~前10世紀にさかのぼるとの見方も強い。いずれにせよ、弥生時代は水田稲作や金属器の到来とともに発展したとするのが通説で、玄界灘に面した福岡県から佐賀県の沿岸部には最古級の水田跡がいくつも確認されている。そのひとつ菜畑遺跡(佐賀県唐津市)に向かった。
海と山に挟まれた風光明媚(めいび)な地に、高床倉庫を模した展示施設「末盧(まつろ)館」はある。パンフレットの「日本稲作発祥の地」の文言が誇らしげだ。
1980年代初頭、ここから土器や石器、炭化米、そして水路やあぜにそって矢板や木の杭を打ち込んだ水田跡が現れた。縄文時代から弥生時代への過渡期を物語るとして国史跡に。末盧館では出土品や菜畑集落のジオラマを見ることができる。
こんなので稲穂を摘み取っていたようですと、学芸員の紫藤芙美さんが半月形の薄っぺらい石片を見せてくれた。「石包丁」と呼ばれる道具で、手首のスナップをきかせてひとつひとつ摘み取るらしい。朝鮮半島にも同じものがあるから、そこを故郷とする渡来人が稲作技術をもたらしたことがわかるのだそうだ。
遺跡からは木製農具や米をついた竪杵(たてぎね)も。スプーンみたいな木製品もあって、おかゆをすくうように使ったのだろうか。
1万年以上もの間、狩猟採集をなりわいとしてきた縄文社会の人々の目には、新来の水田稲作技術はまるで無から有を生み出す魔法みたいに映ったことだろう。生活スタイルも異なったに違いない渡来人との“ファーストコンタクト”は平和裏に運んだのか、それとも一触即発だったのか。
紫藤さんは「まだ貧富の差もなかったころだから、お互い仲良くしていたのでは。渡来人は在来の人々に米づくりを指導してくれたのではないでしょうか」という。
*
では、渡来人が列島に持ち込んだ米づくりとは、どんな姿だったのだろう。地面にパラパラとじかまきする原始的な光景をなんとなく思い浮かべがちだけれど、それを鮮やかに覆したのが板付遺跡(福岡市)だった。驚くことにここではスタート当初から、現在とほぼ変わらない完全な灌漑(かんがい)技術や施設を備えていたのだ。
弥生最古のムラのひとつとして著名な板付遺跡で水田遺構が確認されたのは1970年代のこと。水量を調整する井堰(いせき)を等間隔に設け、取排水の装置やあぜも検出。矢板や杭もあった。その巧妙な工夫は灌漑施設の完成度の高さを物語り、研究者らは目を疑ったという。さらには、集落には環濠(かんごう)が掘られ、お米をためる貯蔵穴が点在。木製農耕具や石包丁はもちろん、水田特有の雑草の種も確認できた。田んぼの表面には生々しい足跡まで残っていた。
福岡市埋蔵文化財課の菅波正人課長は「福岡平野は渡来人にとって魅力あるフロンティアだったのでしょう。故郷に似ていたのだろうか」。長きにわたる米づくりはいまに続く精神文化をも形作ったようで、「(お米に霊的な力をみる)稲霊(いなだま)信仰は先祖信仰と結びつき、人の移動とともに広がっていった」と松村利規・同市文化財活用課長。
こうして日本列島は「瑞穂の国」へと塗り替えられていく。
(文・中村俊介 写真・友永翔大)
■余話
日本人の暮らしを支えてきた米食。近年はパン食文化におされ気味とはいえ、主食の座は健在だ。
米どころといえば冷涼な北日本が本場のイメージだが、そもそもお米は暖かい地方が生まれ故郷。稲作の歴史に詳しい金沢大の中村慎一教授によると、東アジアにおける栽培イネの発祥は中国南部で、1万年近く前にさかのぼるともいう。長江流域では最古級の水田跡の発見が相次ぎ、膨大な栽培イネや骨製の鋤(すき)先などが出土した紀元前5千年前後の河姆渡(かぼと)遺跡(浙江省)は有名だ。
やがてその技術は中国沿岸を北上し、朝鮮半
島経由で日本列島へ。民俗学の泰斗、柳田国男は沖縄など南西諸島沿いにロマンあふれる伝来ルートを提起したが、考古学的裏付けが弱くて賛同を得るには至っていない。焼き畑などの縄文農耕論も一世を風靡(ふうび)したが、仮にあったとしても他の雑穀栽培とさして変わらなかったというのがおおかたの見方のようだ。爆発的に広がるのは、やはり弥生時代以降なのは動かない。
「弥生」という文字がまとうやさしげな雰囲気からか、みなが協力し合う農作業の光景からか、弥生時代の農耕社会はなんとなく牧歌的。が、米づくりや金属器の到来こそ社会を激変させる原動力だったとみる説は根強い。人口が急増すれば人々の間に貧富の差や階層が生まれ、台頭した強力なリーダーのもと土地の奪い合いが起きて戦争が勃発した、というわけだ。
実際、西日本には吉野ケ里遺跡(佐賀県)をはじめとして環濠(かんごう)などの防御施設を幾重にも備えた巨大集落が出現し、ものものしい戦いの痕跡も目立つ。
近年は、これまで水田稲作のインパクトを必要以上に過大評価してきたのではないか、として再検討を促す動きもある。ただ、「少なくとも人間と土地との断ち切れない関係は弥生時代に始まったのでしょうね」と大阪府立弥生文化博物館の禰宜田(ねぎた)佳男館長。水田稲作はやがて古代の条里制や近世の石高制など国家運営の骨組みとなり、長らく政治・経済・社会の基盤であり続けた。
弥生社会に殺伐とした戦乱の世の印象が定着するにつれ、かつて登呂遺跡が提起したのどかな弥生時代像はすっかりかすんでしまった。けれど、やっぱり「弥生」の文字には、たわわに実る稲穂の上をトンボが飛び交う、そんな平和な雰囲気がよく似合う。
■プレゼント
登呂遺跡のキャラクターがかわいい「トロベーの勾玉(まがたま)づくり」キットを4人に。住所・氏名・年齢・「2日」をはがきに記入し、〒119・0378晴海郵便局留め、朝日新聞be「はじまり2日」係へ。7日の消印まで有効です。
◆次回は「時計台」を取り上げます。
◆ 食と農のいま
発砲スチロールで酷暑対策 大阪 地域総合 28頁 朝刊 朝日新聞