行ったことが無かったからです。
3時30分頃到着 /出発 14:10分頃 大阪 吹田 阪急電車 地下鉄 徒歩
二の丸御殿 国宝 撮影禁止 式台 大広間 蘇鉄の間 黒書院 白書院 ・・・450m 33室 800畳
杉板の上をまわりました 築城400年(1600代)
裏面
http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/
二条城二の丸御殿唐門保存修理工事完成について
―菊紋の下に隠された葵の御紋―
京都市では世界遺産・二条城を次代へ保存・継承していくため,平成23年度から工期20年間の予定で,本格修理事業を進めています。その第一弾として平成23年12月から二の丸御殿唐門・築地保存修理工事を行ってきましたが,平成25年8月に完成しました。
1 二条城二の丸御殿唐門について
二条城は,慶長けいちょう8年(1603)に徳川初代将軍家康が,京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営した城で,その後,寛永かんえい3年(1626)に後水尾天皇の行幸を迎えるにあたって拡張されています。唐門は二の丸御殿南側築地ついじ塀べいに建ちます。小屋内に寛永2年(1625)の墨書があり,行幸にあわせた一連の工事として建てられたと考えられます。
唐門は,一間一戸の四
し
脚門きゃくもんで,檜皮葺ひわだぶき切妻きりづま平ひら入いりの屋根の前後に唐から破風はふをつけています。極彩色の彫刻を多用し,冠木かぶき上には龍虎,両妻には唐獅子など様々な主題で飾られています。木部はすべて欅けやき材で,破風には漆うるしを塗り,各部に金箔を押した飾金具を打っています。
2 保存修理工事について
日本建築は古くから木や土など自然素材で作られ,定期的に修理を行うことで維持されてきました。二条城内の文化財建造物も同様で,数十年毎の修理により私たちが今見ることのできる素晴らしい姿を留めています。二の丸御殿唐門は前回工事(昭和48年~50年度)から36年経過し,経年による破損が進行していました。
・飾金具修理
表面の錆を希硫酸で落し,水洗いした後,金箔押し,墨差し,クリヤー樹脂にてコーティングを行いました。
構造形式:四脚門,切妻造,前後軒唐破風付,檜皮葺
建築年代:寛永2年(1625)
重要文化財 指定年月日:昭和14年10月28日(文部省告示第435号)
主要寸法:桁行 6.37m,梁間 5.45m,平面積 34.69m2,屋根面積 145.00m2
▲保存修理工事後
▲金箔押し
▲墨差し
・檜皮葺の葺き替え
屋根檜皮葺は表面が摩滅し,雨漏りに
より腐朽していたため,葺き替えました。
・漆塗の塗り替え
破風の漆塗は,風雨にさらされ退色し
ていたため,塗り替えました。
・彫刻修理
唐門に付く37個の彫刻は彩色の退色が
生じていたため,下地から塗り直しまし
た。使用した金箔は合計11400枚。また彫
刻破損等の復原修理は1619箇所に上りま
す。
3 保存修理工事により分かったこと
修理の際,飾金具を取り外したところ,
垂木
たるき
鼻先金具で,菊紋の下に葵紋を発見
しました。前回修理(昭和48年~50年
度)で破風飾金具の菊紋裏に同様の葵紋
があることは知られていましたが,この
部分に関しては新発見と言えます。
徳川家の城であった二条城は慶応
けいおう
3年(1867)十五代将軍慶喜の大政奉還により,一旦朝廷の管理下と
なり,京都府,陸軍省と所管が移った後,明治17年(1884)宮内省の所管となりました。葵紋から菊紋へ
の改装の時期は定かではありませんが,城の主人が天皇家に変わった明治中頃に実施されたと考えられま
す。江戸時代から明治時代へ。激動の歴史をその身に刻む唐門を,保存修理工事完成の機会に是非御覧く
ださい。
▲檜皮葺 ▲漆塗り
▲南側頭貫上彫刻(鶴)上:修理前 下:修理後
▲左上が垂木鼻先金具 ▲菊紋を取り外すと葵紋があった。
世界遺産・二条城一口城主募金 二条城内には唐門・築地の他にも多くの建造物があり,本格修理に
は多大な資金が必要です。そのため皆様の御支援を賜る「世界遺産・二条城一口城主募金」を募ってお
ります。詳細はホームページhttp://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/bokin/bokintop.htmlを御覧く
ださい。普段は未公開の二の丸御殿室内を御案内する「一日城主」の抽選権等の特典を紹介しておりま
す。皆様の御理解と温かい御支援をお願い申し上げます。
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