吹博 行基展 光峯(KOHO)錦織工房へ
-案内 東大寺正倉院御物の幡を復元した織物美術家・滝村光峯氏の光峰織工房を訪ねます-
http://www.koho-nishiki.com/products/r/
集合時間・場所/午後1時15分
京都市営地下鉄北大路駅南改札口
http://www.kyokanko.or.jp/shisetsu/taiken_d.phtml?id=ta0062
光峯錦織工房 |
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住所:京都市北区紫竹下ノ岸町25
TEL:075-491-9145 /FAX:075-493-8806 アクセス情報:JR京都駅 市バス9番(約40分)、地下鉄北大路駅 市バス37番(約15分)、「下岸町」下車徒歩1分
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あらかた、ホームぺーじで行く道順を調べていました。
すると ニュースで 西陣織のことが
18時以降の今日の予定を考えると 阪急山田から阪急電車で行くのが最適
電車に乗る前に、「夢つながり未来館」のB2にある吹田市図書館で ・・・泥縄式に 「本」を借り乗りました
淡路駅で通勤特急に乗り換え 丸太町 乗り換え 烏丸線~ 四条駅~ 北大路 13時05分頃着
読書は 阪急電車 西院駅まで
だって 初乗り 地下鉄烏丸線 丸太町も何処やったか?? 四条駅は何処か・・
本 第Ⅱ章 概説 正倉院ぎれ 松本包夫 50頁から
泥縄の新知識 8世紀 盛唐の優れた先進技術・・・ 東大寺の宝庫正倉院に伝わる9千件におよぶ
さまざまな工芸品うえに象徴的に示されているがなかでもその過半、およそ5千件に達する染織品
38頁 二法隆寺のぎれ・・
借りてよかった 泥縄に限る
・・・・・ http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/feature/nara1287843774413_02/news/20101023-OYT8T00925.htm 正倉院はいつ頃 741年
正倉院は? たくさんあったんだあ!!http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%80%89%E9%99%A2
正倉院の語義 [編集]
奈良時代の役所や大寺院には多数の倉が並んでいたことが記録から知られる。「正倉」とは、元来、「正税を収める倉」の意で、律令時代に各地から上納された米穀や物品などを保管するため、大蔵省をはじめとする役所に設けられたものであった。また、大寺にはそれぞれの寺領から納められた品や、寺の什器宝物などを収蔵する倉があった。これを正倉といい、正倉のある一画を塀で囲ったものを「正倉院」といった。南都七大寺にはそれぞれに正倉院があったが、のちに廃絶して東大寺のものだけが残ったため、「正倉院」は東大寺大仏殿北西に所在する宝庫を指す固有名詞と化した
地下鉄 烏丸線
京都市バスにて 37 下岸町 瀧村光峯 見学
カイコ 糸 絹 光 錦
別世界の体験 錦の御旗 故郷に錦を飾る
龍村 光峯(たつむら こうほう、1946年(昭和21年)-)は織物美術家。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E6%9D%91%E5%85%89%E5%B3%AF
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来歴 [編集]
1946年宝塚市生まれ、元の名は龍村順。祖父は初代龍村平蔵(号・光波)、父は二代龍村平蔵(号・光翔)。早稲田大学卒業。国際交流基金勤務後、1976年(昭和51年)に後継者として京都に戻り、(株)龍村平蔵織物美術研究所を設立。1982年(昭和57年)に、「(株)龍村光峯」に改称し代表取締役。日本伝統織物保存研究会理事長。
2000年(平成12年)に財団法人日本文化藝術財団より、日本伝統文化振興賞を受賞、2002年(平成14年)に財団法人全国税理士共栄文化財団より、全税共地域文化賞受賞。
錦織美術の第一人者として錦織額、タペストリー、緞帳などを制作。伝承技術の保存育成に日本伝統織物保存研究会を立ち上げ、綜合的復元事業として古代裂の復元に取り組む。海外での展覧会も多数開催。その他、国際日本文化研究センター主催国際シンポジウム「日本の伝統工藝再考・外から見た工藝の将来とその可能性」に参加、また同志社大学プロジェクト科目嘱託講師など多方面で活躍中である。
兄は映画監督の龍村仁、弟は龍村ヨガ研究所所長の龍村修。
代表作品 [編集]
帰り道 阪急大宮 南茨木 大阪モノレール 山田駅 阪急山田
コメント
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