追加・変更していきますが 速報が・・・・
6時頃 中学校のコーラが場の雰囲気を 50年に一度の 光アート
「お~ぼら」さんと・・ ほぼ最後1枚に近い
点火の直前 右端↓ カメラを抱えるお方 万博(桜)の花咲おじさん・・今回は、「あかりおじさん」・・どこでもここでも・・人徳多きお方です
ハィ ・・・・・・・・
千里山から中野さん駆けつけ
カチットで着火 点いた !!
おめでとうございます 武藤さん 谷川さん 光も明かりも別嬪さんも ・・・・
別嬪さんのお名前は 千里(ちさと)さんとちゃうの・・
そうや 世界のひととこの喜びを
・・・・・・メールで届いて あっち、こっち HPをうろうろ 平成24年11月11日(日) 午後9時21分・・・・・・・・・
よく調べると・・・ごめんなさい ミゼット ほい の吉田さんでした・・・ 大阪千里ニュータウン一周ドライブ(誰ですか、脱帽 私もこの気持ちのよい映像を作りかったです)・・・吉田さんは 一周ドライブの後にアップ・・・谷川さんと大津さんはミゼットにのる・インタビーアーのこの方をご存じかも・・・11/11の今日、すいはくで又千里入居一号の方に会いました・・・・11/17の人前結婚式に是非と声かけました 大津さん・谷川さん楽しみにして下さい
「開かれた団地」絆深まる 《4》近隣との関係
佐竹台の高層化建て替え
「高層化に歯止めがかからなくなり、景観が変わってしまう」。2001年11月、府住宅供給公社が吹田市佐竹台の賃貸団地を5階建てから14階建てなどに高層化する計画を策定したあと、幅6メートルの車道を挟んで立つ分譲集合住宅から、反対の声が上がった。
同公社が千里ニュータウンで所有する13か所の賃貸住宅で最初の建て替えだった。1963~66年建築でエレベーターがなく、高齢化が進む同団地の住民たちは早期着工を望んだ。
車道の両側で住民たちが対立した当時について、同団地に住む佐竹台地区連合自治会長の谷川一二さん(74)は「一時は話し合いの場もなく、険悪な雰囲気だった」と語る。
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和解のきっかけとなったのは、この車道だった。もともと車社会を想定していなかった同ニュータウンの住宅地内では、歩道が整備されていなかった。同公社は、同団地側に幅3メートルの歩道を設けるため、敷地を後退させる計画を立てていた。
「高さは譲るから、こちら側にも歩道をつけて」。2004年初夏、分譲住宅の代表者から谷川さんに提案があった。谷川さんも「子どもたちを事故から守るには必要だ」と賛成し、同公社と約1年にわたって交渉。分譲住宅側にも幅3メートルの歩道を整備できるよう、同公社が用地を提供することで合意した。
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同団地は昨年2月に一部の建て替えを完了。1階部分の一部は通路になっており、付近の住民が阪急南千里駅への近道にする。新築した立体駐車場の屋上には緑地を造り、子どもたちが遊びに来る。いずれも谷川さんらが「周囲と絆(きずな)が深まる住宅に」と、同公社と話し合いを重ね、実現した。
「飲みに行きませんか」。今も谷川さんの携帯電話には分譲住宅の住民から誘いが入る。建て替えで得た何よりの成果だ。(おわり、この連載は中村隆が担当しました)
■まちづくり指針 共有
千里ニュータウンも港北ニュータウン(横浜市)も、目標をコミュニティー形成に置き、外部空間に工夫を凝らした。ただ、港北ではグリーンマトリックスと呼ばれる緑道網が公共用地として永久に担保されるが、千里の団地や地区センターの広場は喪失されてしまう。
千里の将来を考える時、谷川さんの例は重要な示唆を与える。完成した団地では新しい通り抜けの空間で、団地や周囲の人々の出会いが生まれ、隣の街区の建て替えに踏襲される。空間の価値を、市民や開発者、行政が現代なりの方法で引き継ぐ。これが千里ならではの継承の形だ。
この精神は、吹田市が策定した「まちづくり指針」の中にある。指針には地域ぐるみで千里の環境をよくしようという、開発者と市民自らに語りかけるメッセージが込められている。
谷川さんの団地の建て替えでは、反目していた住民が互いの団地の間の環境をよくするという目標を共有し、指針の精神を期待以上の方法で具体化した。一方、連載3回目に挙げた南センタービルなどでは次の世代に文化を残したいと願う人々と、バリアフリー建築への建て替えを願う人々が将来像を共有できないまま再開発が進む。団地や地区センターで人々の間に共有される千里の将来像とは何か、市民や行政、開発者と一緒に追求していきたい。(建築・都市デザイン)
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そのご・・デジカメ バッテリー切れ・・・ 時計はなくすは、 溝に落ちるは・・・ >
コメント
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